成年となった皇族の会見では、結婚観と理想のパートナー像を尋ねるのが記者のお約束。天皇陛下も42年前に答えている。愛子さまも尋ねられ、「結婚はまだ先のことのよう」に感じると述べた。が、それだけではなかった。「小室眞子さんの結婚の経緯をどのように受け止められましたか」と問われた。
秋篠宮家の長女眞子さんは、「儀式なし」でニューヨークへ旅立った。その経緯については「発言を控えたい」と愛子さま。だが、眞子さんとの思い出については意外なほどと言っていいだろう、たくさん語った。
少女時代の愛子さま
10歳年上の頼りになる「お姉様のような存在」だった。自ら率先して手伝う姿が印象にある。同じ敷地に住んでいたからお庭で遊んだり、楽しく話をしたり、と言ったあと「ゲームで盛り上がったりしたことは、私の眞子さんとの大切な思い出でございます」と愛子さま。「ゲーム」そして「盛り上がる」という少し今どきな言葉に、愛子さまは素直に語っているのだな、と思う。
そして、最後はこう述べた。
「幼い頃から、いつも変わらず明るく、優しく接していただいたことを有り難く思うとともに、従姉妹として、末永いお幸せをお祈りしております」
秋篠宮家には今、逆風が吹き荒れている。秋篠宮家は叩いてよし。そんな空気が世間にあるようだ。それを決定的にしたのが、眞子さんの結婚だった。
愛子さまは、眞子さんとの思い出をたくさん述べ、幸せを祈る言葉で締めた。眞子さんへのエールだった。「従姉妹として」と断っているが、女性同士の連帯だと感じる。秋篠宮家叩きと一線を画することをはっきり述べた、ともとれる。愛子さまの意志と強さ、と承った。
会見が開かれた17日の夜、日経新聞の電子版にアップされたのが井上亮編集委員の「若い皇族が悲観しない環境を」という解説記事だった。そこで井上さんが指摘したのが、秋篠宮家への攻撃の反作用かのように広がる「愛子天皇論」の危うさだ。「根拠なき礼賛は、容易に根拠なき批判に転じることを、かつてバッシング報道に遭った天皇ご一家は身にしみて理解されているだろう」とあった。
愛子さまは小学校低学年で学校に行きづらくなり、雅子さまに付き添われて登校した。公表された写真が折れそうに痩せていたのは、15歳の誕生日だった。思えば皇室が抱えるさまざまな問題を体現してきたのが、少女時代の愛子さまだった。