撮影日は車側広告に掲示された「ダイエー小倉ショッピングセンター」の開店日で、画面右上には開店を告知するアドバルーンも写っている。余談であるが、小倉ショッピングセンターはディスカウント・デパートを志向するダイエーの基幹店だった。栄枯盛衰は世の常で、華やかに開店したダイエーも30年後の1999年に閉店している。その跡地には2003年から「リバーウオーク北九州ショッピングモール」が盛業中だ。

 小倉の繁華街として著名な魚町は、玄界灘で獲れた魚の荷上市場があったことが町名の由来になっている。魚町は北九州線と北方線の乗換え停留所で、多くの乗客がひしめく北九州線随一のジャンクションだ。

北九州線の大量輸送に貢献した1000型連接車。1953年から14年にわたって増備が続けられ、ラッシュ時に威力を発揮した。魚町(撮影/諸河久)
北九州線の大量輸送に貢献した1000型連接車。1953年から14年にわたって増備が続けられ、ラッシュ時に威力を発揮した。魚町(撮影/諸河久)

 北九州線魚町停留所付近で撮影したのが次の写真で、到津車庫前行きと門司行きがすれ違うシーンだ。手前の1013A+1013Bは、1955年に北九州線の輸送力増強用として川崎車輛で製造された。全長18.4m、定員130名(座席定員54名)の連接車。後部のA車にパンタグラフと制御器、手前のB車には発電機とコンプレッサを搭載していた。画面背景の茶色の建物が1936年に開店の老舗「小倉井筒屋」で、屋上の観覧車が百貨店に遊技場があった昭和の時代を象徴している。

 この年の九州ロケには、アサヒペンタックスSVとS2の二台のボデーと、その交換レンズを携行し、それぞれにモノクロフィルムとカラーポジフィルムを装填していた。カラーポジフィルムは高価なコダックエクタクロームXフィルム(ISO64/現像E4プロセス)を奮発した。撮影から半世紀を超え、若干の退色やフィルム傷などの瑕疵が認められるが、デジタルリマスターの工程で何とか補正することができた。

■砂津の専用軌道を走る流線形電車

 筆者が門司から小倉方面に乗車した北九州線の車窓ロケハンでは、車庫の所在する砂津(すなつ)停留所の手前に、鉄道線路を跨ぐ専用軌道が所在することを確認していた。魚町の撮影を終えてから砂津に引き返し、件の専用軌道で撮ったのが次のカットだ。

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