まるで仮病だったんじゃないかと疑われても仕方ないが、ボタ餅が結局生命力になったのである。遠方から臨終や、という電報を受けて飛んで来た人達は「おっさんに騙されたわ」とブツブツいいながら帰って行った。当時の父は60歳位だったと思うが、それから10年たらず生きて脳梗塞で死にました。
以前、瀬戸内さんとの往復書簡で書いたような気がするけど、僕がまだデザイナー時代、版画家の池田満寿夫と箱根の旅館で対談をすることになった時の話ですが、初対面の池田さんと芸術論を交わすことになったが、なぜかアンコの話になってしまった。二人共アンコが大好きで、「やっぱし芸術はアンコだね」とわけのわからぬことを言ってお互いに共感し合った。「ところで池田さんは、おはぎは?」と聞くと「大好きだよ、特にコシアンがね」と言う。「ウン? コシアン? 僕はツブアンだね」と言うと池田さんは、「俺はコシアン」と固執する。
「ツブアンは口の中ではあずきだけど、喉を通って胃に入るとコシアンで、一度に二度違った味が体感できるじゃないか」と僕が言うと池田さんは、「だから君はデザイナーなんだ、俺はコシアンだから版画家なんだ」とまるでデザイナーより版画家の方が偉いみたいなことを言いだした。ムカツキましたねえ、僕は。「池田さんは変化を認めないんだ。コシアンは食べる前も食べたあともコシアンで変化がない。僕は変化という多様性を認める」と、ここで二人の芸術論が展開することになったが、ここから先は険悪な空気になってしまった。困惑したのは編集者。
「まあ、まあ、風呂に入ってお互いに機嫌を直して下さいよ」と無理矢理3人で大浴場に入ることになった。風呂場に行くまでお互いに口も利きたくない。だけど素っ裸になって湯船に入ると、どうも喧嘩がしにくい。芸術論で対立するのではなくアンコ論争での対立はどうも風呂場まで持ってくるわけにはいかない。編集者は実に頭のいい人で、二人を風呂に入れてしまえばアンコ論争に終止符が打たれるということを知っていたようだ。