延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
この記事の写真をすべて見る

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は先日亡くなった石原慎太郎さんについて。

【写真】石原慎太郎さんがくれた名刺

*  *  *

 毎週土曜がピアノのレッスンの時間だった。

 グランドピアノの上に置かれていたのが石原慎太郎さんの『スパルタ教育』という本。表紙では真っ青な空に日焼けした少年がこっちを睨んでいる。今考えると予習もせず稽古に臨む僕ら生徒への威嚇(?)だったのかもしれない。

 いやいや、それはない。ご主人が慈恵医大の医者で、近所に住む優しい先生だった(ソルフェージュにはそっと小声で答えを教えてくれもした)。その本のおかげかもしれないが、息子は麻布から東大に進み、いま立派な研究者になっている。

 それ以来、「スパルタ=石原慎太郎」というイメージが出来あがり、石原さんが参議院選挙に自民党から立候補して301万票の最多票で当選し、ニュースの画面を見て「ああ、スパルタ教育の人だね」としたり顔で呟く僕を、父がにやにやしていたのを覚えている。

 石原さんは芥川賞の選考委員も務めていたが、毎回楽しみだったのがその講評だった。

 自らの文学的血肉を礎にした容赦ない叱咤と底知れぬ優しさは、受賞作より遥かに破壊力のあるアジテーションで、「負けるものか、いつか見返してやる」と自分が講評されているわけでもないのに心を熱くしていた。

「いつか若い連中が出てきて足をすくわれる戦慄を期待したが、緊張感を覚える作品がない」と選考委員を辞めてしまい、もうあの檄文を読むことができないのかと落胆したのを覚えている。

 そんな石原慎太郎さんに初めて会ったのが、現代美術家村上隆さんの番組のゲストに登場してくれた時だった。

 都庁を訪ね、収録機材をセットしていると石原さんが入ってきた。『スパルタ教育』の著者とやっと会えた。

 石原さんは何かを探るような目つきで入ってきて、「石原です」と静かに言った。ナイーブで、どこか傷つくのを恐れている少年のような表情だった。ベストセラーを連発し、歯に衣着せぬ発言をする印象が途端に変わった。

次のページ