ミョーさんは19年12月から21年4月まで、再び出入国在留管理局に収容された。弟によると、この間に父親は、せきをすると血が出るほど病状が悪化していた。だが、就労することが許されないミョーさんに、できることはなかった。
22年2月6日、弟から連絡が入った。「お父さんは今朝亡くなった」と。
「長男として何もできなかった。助けたいけど、日本で働けないから、治療費を送金することもできなかった。私はこんなに安全な国にいて、こんなに丈夫な体なのに。働けるんだったらなんでもしますよ。ちゃんと働いて日本の税金だって納めたい。せめて、お父さんの葬儀代を送りたかった……」
入管からは何度も「ミャンマーに帰りなさい」と言われてきた。だが、ミャンマーは、ロヒンギャを国民として認めていない。ミョーさんは途方に暮れる。
「ミャンマーのどこに帰る場所があるのか。私のような難民は、帰りたくても帰る場所がない。どうしたらいいんでしょうか……」
【後編】に続く。
(AERA dot.編集部 岩下明日香)
※注1『ミャンマー政変 ――クーデターの深層を探る』北川成史著 (ちくま新書)を参照