瀬戸内寂聴著『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)※Amazonで本の詳細を見る
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 愛とは、自分以外の人の心を想像し、その願いや望みを叶えてあげたいというやさしさ、思いやりです。

 だから愛する人が何をしても許す。泥棒だとか詐欺だとか、そんなことをしたからといって、ほんとに愛したら憎みきれません。

 人間は甘いのです。恋人が面と向かってやさしい顔をしていたら、陰でどんな悪いことをしていても、それがわかっていても、許すでしょう。

 実際には、人の道に反することは許せない、世間に申し訳が立たないといって、見捨てる人の方が多いかもしれない。でもそれは、ほんとに愛していないのでしょう。ほんとに愛していたら、もう仕方がないと思って、すべて許すはずです。

 愛がなくなった時に、人間は許せなくなる。

 たとえば、死刑宣告を受けて刑務所に長く入っている人がいます。そういう人のお母さんは、わが子が生きている間、ずっと見舞いつづけますよ。世間に対しては肩身が狭いでしょう。それでも死刑を宣告されたわが子を、ずっと支えるのです。

 ある死刑囚が、そんなふうに自分を支えてくれたお母さんにあてて詠んだ感謝の句を見せてもらったことがあります。とても素敵な句でした。お母さんがいなかったら、その人は持ちこたえられなかったと思います。

 世間からどんなに責められても、子を愛する親なればこそ、すべてを許せる。これは、いわば無償の愛です。

 死刑囚のわが子を見舞ったところで何も返ってこない。それこそ世間の非難しか返ってこないかもしれません。でも、見舞わずにはいられない。これがほんとの愛情なのです。こうした母の愛は、すべての人間を許す仏さまや神さまの愛、「慈悲」や「アガペー」に近いものでしょう。

 たしかにその人は死刑になるほどの罪を犯しました。けれどもその結果、お母さんからほんとの愛情を注がれました。それはひょっとすると、娑婆に生きる私たちよりも幸せなことなのかもしれません。

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