2021年11月に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんが、97歳の時に上梓した『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)。そこには自身の人生における出会いや別れ、喜びや悲しみのすべてが記されており、ベストセラーとなっている。本書より、寂聴さんにとっての「愛」についての一文を一部抜粋してお届けする。
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人間が生きるとは、どういうことでしょうか。この年まで生きてきて、はっきりいえるのは、それは「愛する」ことです。誰かを愛する。そのために人間は生きているのです。
結婚するとかしないとか、それは全く関係ない。誰かひとりでも愛する人にめぐりあう。それが一番、私たちが生きたという証しになるでしょう。
小説家として500冊近くも本を出しました。様々な賞もたくさんもらいました。でも、そんなものよりも私の中に今も深く残っているのは、愛した人たちの思い出なのです。
この年になるまで、好きなことを好きなようにして生きてきました。自分のしたいことは何でもして生きてきました。心残りは全くありません。でも、後悔がひとつだけあります。
結婚していた25歳の時に、まだ「お母さん、行かないで」といえない3歳の娘を残して、家を飛び出したことです。一番に愛して責任を持って守らなければならない存在を、私は自分の欲望のために捨ててきました。
それが唯一の後悔です。今その娘は75歳になって、京都の嵯峨野にある私の自坊、寂庵にも度々訪ねて来るほど仲よくしています。それでも、抵抗できない小さなわが子の心を、深く傷つけた、その後悔は消えません。今では「お母さん」と、さりげなく呼んでくれるけれど、その度に心が痛みます。
こうした私の後悔も、人間にとって愛することや愛した思い出がいかに大切か、その裏返しの証しではないでしょうかそして、この年になってようやくわかりましたが、愛することは許すことです。ほんとに愛したら、何でも許せます。