天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
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 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「ジャンボ鶴田23回忌」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。

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 5月31日に「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」が後楽園ホールで行われる。ジャンボ鶴田という選手は昭和のプロレスに名を残した選手だし、追善興行をするのはいいことだと思う。意外とこういうのって、周りが盛り上がって、当人に関係がある人は「いやあ、いいですよ」ということが多いが、ジャンボは派手なのが好きだから、やってあげた方がいいよ。

 当時、トップロープを越えてリングインしていたのはミル・マスカラスとジャンボだけだったし、男しかいないプロレスで、星柄のトランクスを履いて出てくるくらいだもの。派手な興行は彼も大歓迎だよ。人がたくさん集まれば、試合をする選手も実力を発揮できて、内容も派手になるだろうね。

 ジャンボが亡くなってずいぶん経つけど、俺の印象は、初めて全日本プロレスのバスに乗ったとき「天龍選手、こっちに座りなよ」って、隣に呼んでくれた、あのときのまま。姉ちゃんとプロレスが好きなあんちゃんだ。よく話もしたが、ジャンボは大学時代にアマレスばかりやっていたせいかな、相撲の世界の話をするとすごく興味を持って聞いていたね。横綱になると私生活もいろいろと派手になるだろう。アマレスはオリンピック選手になったとしても派手に遊べないから「横綱は後援者がいて、どうこう」という話を聞いているだけで楽しかったみたいだ。

 ジャンボ自身も相撲界から声をかけられて、入るか入らないかってこともあったようだからね。一度、巡業中の旅館で飯を食っているときに「横綱、大関になると、宴席に呼ばれても、好き勝手にできないし、周りが変に気を遣って大変だよ」という話をしたら、それをどうとらえたのか、急にラーメンの出前を取って食べ始めたんだ。自分も近いうちにラーメンも好きに食べられない立場になると思ったのかな?

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ザ・ファンクスに負けてなるものか