ジャンボはジャイアント馬場さんからの教えや、自分の気持ちの中でも、全日本プロレスを引っ張っているのは自分だという意地があったね。そういう気持ちは表に出すタイプではないけど、ザ・ファンクスの人気がすごかったときは、負けてなるものかってという彼の気持ちをすごく感じた。
ジャンボは相手が試合中にアツくなっても「はい、はい」って、いなしながら戦っていたけど、根底には負けたくないという気持ちもあったはずだ。ザ・ファンクスやミル・マスカラスの人気があって、ファンが追いかけている姿を見て、焼きもちを焼いているようだったよ。ファンに「鶴田さん、サインください!」と言われて「テリー・ファンク」と書いたこともあるぐらいだから(笑)。
それでもジャンボは強い癖があってどうこうっていうタイプではないし、他のレスラーに無理強いすることもなく、地に足つけてプロレスやっているという印象だ。とても堅実だったよ。それは戦い方だけじゃなくて、実生活も含めてね。
いい例が、全日本プロレスの道場の物件はジャンボが買って、それを全日本から家賃をもらって貸し出すという形でやっていたことだろう。そうすれば、家賃で物件の返済ができるからね。さすが中央大学出身だ。馬場さんは都内のあちこちに土地や建物を持っていたけど、道場として使用したことはないからね。ジャンボのやり方は当時流行っていた“土地ころがし”とは違って、ずいぶん堅実なものだったよ。
それにその道場には選手が使う用に赤電話(赤い色の公衆電話)を置いていたんだけど、ジャンボはその10円玉の集金だけして帰って行くこともしょっちゅうだった。普通は道場で練習して、そのついでに集金していけばいいのに、ジャンボにとっては電話の集金がメインなんだ。
追善興行の会見ではジャンボの息子の祐士くんも出ていたね。俺の娘と祐士くんは年齢も近いし、実は二人を結婚させようと目論んでいたんだよね。そうすればジャンボがコツコツ貯めたお金が嶋田家にも入ってくるかなって(笑)。娘も「祐士くんかオカダカズチカと結婚すれば東スポの一面を飾れたのに」って、今でも言っているよ。