2021年11月に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんが、97歳の時に上梓した『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)。そこには自身の人生における出会いや別れ、喜びや悲しみのすべてが記されており、ベストセラーとなっている。本書より、寂聴さんにとっての「孤独死」と、胆のうガンを摘出した際の「全身麻酔と秘密」についてのエピソードを一部抜粋してお届けする。
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私は、孤独死をあわれな死だとはあまり思いません。「ひとりで死んで可哀そう」とは思わない。むしろ「よかったじゃない」と思うのです。
みんな孤独死を「こんな淋しいことはない」などと、さも悲惨なことのように騒ぎます。けれども、どんなにたくさんの身内に見守られていたところで、死ぬ時はやはり淋しいものでしょう。
京都の女友だちの臨終に立ちあったことがあります。「もう死ぬから来てくれ」と息子さんに呼ばれて、お宅に行った。
お嫁さん、夫や子供、孫まで、身内が全部集まっていました。みんなシクシク泣いて、臨終を見送ろうとしている。私はお坊さんとして何か声をかけなければ、と思って死の床についている彼女に言いました。「あなた幸せじゃないの」と。
「いまどき病院で死なないで、家で死ぬなんてよかったね。しかも家族みんながこんなに大勢集まってくれて、あなたを見送ってくれる。ほんと幸せね」
そうしたら、死にかけている彼女がぱっと目を開けて、突然、喋ったんです。
「だから、死にたくないんです!」
「どうして私がこの中からひとりだけ抜けて、死ななきゃならないんですか、悔しい……」
何とも言いようがありません。そんなことを言いそうにないしっかりした人だったから、ほんとに驚きました。
「みんなに見送られて死にたい」とはよく言われますが、かえって無念や淋しさが倍増するのかもしれない。その時になってみないとわからないでしょう。死んでしまった本人の気持ちはわからない。