「この話をどう判断し、扱われるかは全てお任せです。ご多忙のことと思いますので、心の片隅に止めていただくだけでも幸いです」
「私は記者になって23年になりますが、年を重ねるにつれて辺野古のような愚策ぐらいは止めたいと強く思うようになりました」
「会社の枠など気にしている場合ではないので、手に負えないネタはご相談してみようと思い立った次第です」
石井は、沖縄から東京のセミナーに自腹で参加した私を覚えてくれていた。「変わっているか、よっぽど金持ちか」と後に冗談めかして語っている。セミナーに(多少変わってはいるかもしれないが)金持ちではない私が無理して参加したのは、尊敬する神奈川新聞記者の松島佳子が主催者の一人で、熱心に誘ってくれた結果だった。志ある記者とのつながりがまた次の出会いを運んでくれた。
私のメールに対する石井の返信は、いきなり核心に迫っていた。
「読後、私が考えたのは、日本版海兵隊といわれる陸上自衛隊『水陸機動団』の配備ではないかということです」
「阿部さんのメールを読んで、あらためて再取材をしてみます。是非、一緒にやらせて下さい」
聞けば石井も、辺野古に陸自を常駐させるという同じ話を、私より早い2017年の段階で把握していた。当時熱心に取材したものの、詰め切れないままだったという。パソコンに保存している過去の取材メモと私の情報を照合し、もう一度挑戦しようと決めた。そして私が全て任せます、と投げたボールを、合同取材の提案として投げ返してくれた。
■合同取材
石井は共同通信の社内で合同取材の了解を取り付けた。私も同様にした。石井に情報提供をする前、タイムス編集局長の与那嶺一枝にだけは報告していた。新報との競争の先頭に立つ立場であるにもかかわらず、すんなり認めてくれた与那嶺は、合同取材に発展したことをことのほか喜んだ。「課題が複雑になる中、1社だけでは調査報道は難しい。どんどん手を組んでいくべきだと思う」。ただ両社とも、スタート時点ではうまくいく確信はなかった。