プロのアスリートには、身体能力が優れた選手が多い。その中でも「プロ野球の投手」は最も身体能力が抜きん出ていると言われる。二刀流・大谷翔平(現エンゼルス)はその最たるものだが、中には俊足の投手も存在する。
まず思い出されるのが、NPBで通算7年間プレーしたドミンゴ・グスマンだ。
188センチ、102キロの巨体ながら、野球を始める前にやっていたバスケットで鍛えた俊足が売りだった。
「グスマン」の登録名だった横浜時代の2002年10月1日の広島戦で来日初盗塁を決めているが、ファンに鮮烈な印象を残したのが、中日時代の04年7月29日の阪神戦だ。
5対3とリードの6回1死一塁で打席に立ったドミンゴは送りバントを試みたが、投ゴロで2死一塁となった。走者が投手に替わったので、井川慶-矢野輝弘の阪神バッテリーは警戒を緩めた。
ところが、次打者・荒木雅博のとき、ドミンゴは大きな体を躍らせながらスタートを切ると、怒涛の勢いで二塁にヘッドスライディングを決め、セーフになった。投手の盗塁は、シーズン初めての珍事だった。
そして、荒木も安打で続き、2死一、三塁とチャンスを広げたあと、ドミンゴは井端弘和の右前安打で6点目のホームを踏んだ。
投げて、走って、勝ってとくれば、最高の“ドミンゴ・デー”になるところだったが、7回に金本知憲の3ランなど2被弾で逆転され、チームも延長12回サヨナラ負けという皮肉な結果に。
ドミンゴは「金本に打たれた2本(1回の2ランと7回の3ラン)は失投だった。これ以上は何も話したくない」と悔しがり、盗塁については触れずじまいだった。
投手にとって大事な手を負傷することを案じた森繁和コーチは、足から滑り込むことを教えようとしたが、ドミンゴ本人に覚える気がなかったため、以後、盗塁はご法度となった。
前記の阪神戦でも送りバントを3度失敗し、バントを苦手としていたドミンゴだが、うまく決まったときは、「荒木より速い」と評された俊足で、内野安打も何度か記録している。