瀬戸内さんの遺言めいた言霊のせいか、本当に絵の主題も様式も何もかも変わってしまった。まさか人生の後半に耳が聴こえなくなるとは思いもよらない僕にとっては人生の大事件ってことだろうね。これから音楽家なら大変だけど、幸い画家で不幸中の幸いです。

 では、どのように絵が変わったかというと、絵を描く態度が変わった。人との交流がなくなった分、絵を相手に独り言を言うようになった。つまり言葉の代わりに絵を描くことで絵と対話することが多くなった。「ここに赤を塗ろう、いやちょっと待てよ、黒の方がいいかも? いや何も描かない空間として残しておこう」と、こんな風にして一枚の絵ができるまで、心の中でしゃべりっぱなしである。この場合の話相手というのは、フト浮かぶインスピレーションが対話相手である。何かを問う(思う)と、必ず霊感に似た返答が頭に浮かぶ。これが絵との対話なのである。だから一枚の絵ができ上がるまでに、思案や問いを連続的に発信する。すると向こう(絵の方)はどんどんインスピレーション(霊感)を与え続けてくれる。何もしなくてもまるで悟りのように答えが返ってくる。

 まあ、難聴が悟りへの道とは思わないけれど、印象派のモネは、晩年、白内障になって、ほとんど失明状態で、抽象画の先駆的作品を描いた。ルノアールはリウマチだかになって絵筆を手にしばって描いた。ベートーベンも難聴になってからも傑作を生んだ。と考えると身体的ハンデキャップも悪くない。ハンデキャップに抵抗するのではなく、ハンデキャップを自然体にしてしまえばいいわけだ。

 僕の近作は、難聴と同様、手が腱鞘炎を起こしているので左手で描くことがある。左手は慣れていないので、線を真っすぐに引けないで、ぐにゃぐにゃ蛇行したり、人物の表情など、とんでもない顔になってしまう。わざわざデフォルメする必要がない。勝手にデフォルメをしてくれる。実に便利がいい。

次のページ