
芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、突発性難聴について。
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ある時、千葉に発生した竜巻のニュースをテレビで観ていたら、突然、耳の中でトルネードがクルクルと螺旋を描いたかと思うと、ツーンと耳の中に水が入ったような音なき音がして、世界と遮断されてしまった。突発性難聴の始まりだった。
話すことはできるが、僕の話した言葉に返ってくる相手の言葉の意味が通じない。一語一語の言葉に朦朧(もうろう)とした輪郭ができて、それらがぶつかり合っているように聞こえる。だから意味をなさない。耳元で大きい声でしゃべられれば、耳が痛いだけだ。補聴器で音を調整しても、最初だけで辺りの環境音を拾ってしまうので、ただただうるさいだけで、次々と補聴器を取っかえてみたが、効果がない。外国の高価な補聴器を2台買って、120万円を捨てたと同様、どっかへ行ってしまった。
そこで補聴器を止めて、テレビ局などで使用している発信用と受信用をお互いに会話する者同士が装着して、なんとか会話を成立させることに成功したが、他の人と会話をすることは不可能である。
以前、瀬戸内さんが、「難聴になると作品が変わるわよ」と言われた。作品が変わる前に生活ができない。僕の主治医も諦念してか「横尾さん、立派な社会的身障者ですよ」と、まるで選ばれた人のように誉められているのか、同情されているのか、まあ先生にすれば、耳が聴こえないと、雑音が入らなくて、静かでかえって絵が描きやすくなりますよ、と言われているような気がしないでもない。
もう今ではすっかり難聴に慣れて、簡単な会話はホワイトボードに文字を書いてもらって、会話をするようになった。とにかく人との会話が少なくなったので、人としゃべる必要がないことだけは事実である。ますます内面的な人間になって、絵との対話がほとんどなので、絵の数がどんどん増えていく。85歳の人生の中で今ほど沢山絵を描いている時期は過去にもなかった。