江夏豊(えなつ・ゆたか)(左)/ 1948年、兵庫県出身。66年ドラフト1位で大阪学院高から阪神に入団。その後、南海、広島、日ハム、西武でプレーする。沢村賞や最多勝、最多奪三振などのタイトルに輝く。シーズン401奪三振はプロ野球記録。プロ通算206勝158敗193セーブ、2987奪三振。田淵幸一(たぶち・こういち)(右)/ 1946年、東京都出身。法政大では通算22本の六大学最多本塁打(当時)を記録。68年ドラフト1位で阪神に入団。22本塁打を放ち、新人王を獲得。その後、西武でもプレー。引退後は、ダイエーや阪神、楽天で指導者として活躍。プロ通算成績は1532安打、474本塁打、1135打点、打率.260。(撮影の際はマスクを外しました)
江夏豊(えなつ・ゆたか)(左)/ 1948年、兵庫県出身。66年ドラフト1位で大阪学院高から阪神に入団。その後、南海、広島、日ハム、西武でプレーする。沢村賞や最多勝、最多奪三振などのタイトルに輝く。シーズン401奪三振はプロ野球記録。プロ通算206勝158敗193セーブ、2987奪三振。田淵幸一(たぶち・こういち)(右)/ 1946年、東京都出身。法政大では通算22本の六大学最多本塁打(当時)を記録。68年ドラフト1位で阪神に入団。22本塁打を放ち、新人王を獲得。その後、西武でもプレー。引退後は、ダイエーや阪神、楽天で指導者として活躍。プロ通算成績は1532安打、474本塁打、1135打点、打率.260。(撮影の際はマスクを外しました)
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 プロ野球のスター選手が一堂に会する球宴の季節がやってきた。71年の歴史のなかで、今も語り継がれる大記録がある。江夏豊さん(74)が達成した9連続奪三振だ。7月26日の開幕を前に、田淵幸一さん(75)とともに伝説を残した「黄金バッテリー」に話を聞いた。

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 幾多の名場面を生んだオールスター。なかでも往年のファンの記憶に強烈に焼きついているのは、やはり1971年の試合だろう。この年、阪神タイガースの江夏豊投手と田淵幸一捕手の「黄金バッテリー」が、9者連続奪三振という偉業を成し遂げた。オールスターは3イニングしか投げられない決まりで、この記録に肩を並べた投手はいない。

 今でこそ伝説として語られる投球だが、出場前の江夏さんは本調子ではなかった。ファン投票で1位となりセ・リーグ代表に選出されたものの、「自慢できる数字じゃなかったんですよ」と語る。

 それまでの成績は26試合に登板して6勝9敗、防御率は3.12。前年に52試合21勝17敗、防御率2.13、340奪三振を記録し、最多奪三振のタイトルを獲得したのに比べると物足りない。何が江夏さんを奮起させたのだろう。そのきっかけを思い出してもらうと……。

「日刊スポーツの記者だったかな。『ようそんな成績でオールスターに出てきたな。ちょっとお客さんが喜ぶようなことをやらないといかん』とハッパをかけられて。そこで、頭に浮かんだのが『奪三振』だったね」

 当時のオールスターの奪三振記録は、江夏さんが前年に記録した八つ。しかし連続ではない。安打を許し、点も取られた。

「そういうこともあって、自分の記録を抜いてやろうと思いついたんです」

 そして迎えた第1戦。西宮球場のマウンドに立った江夏さんの投球は冴えていた。田淵さんがはっきりした口調で言う。

「豊のストレートは走っていたね」

 一回裏。先頭打者の有藤通世(ロッテ)を変化球で切って取り、続く基満男(西鉄)も空振り三振に。3番は「32試合連続安打男」(江夏さん談)の長池徳二(阪急)。最も警戒していた相手だったが、フォークで空振り三振に仕留めた。

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唐澤俊介

唐澤俊介

1994年、群馬県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。朝日新聞盛岡総局、「週刊朝日」、「AERAdot.」を経て、現在は生活・文化編集部で児童書の編集。二児の父。仕事に育児にとせわしく過ごしています。写真は妻が作ってくれたゴリラストラップ。

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