江夏さんの言葉どおり、加藤を三振に切って取った。その直後、田淵さんが“珍事件”を起こす。
「あまりにも興奮して、(加藤選手を三振に打ち取った)ボールをマウンドのほうに投げちゃったんだよ(笑)。『やったー!!』って思って。俺、デリケートだからさ」
江夏さんもこれには、「そうは見えなかったけどなぁ。俺一人で喜ぶんじゃなくて、普通、バッテリーで喜ぶもんだけどね」。グラウンドを転がる記念球は、一塁を守っていた王さんが拾って渡してくれたという。
江夏さんが3イニングで投げたのは41球。田淵さんが言う。
「まっすぐが走ってたね。バッターがこんな(頭の高さの)ボール球まで、振ってくれて。当時、スピードガンがあったら、どのくらい出ていたんだろう、と思うね。150(キロ)出てた?」
江夏さんは「いや、どうだろうな。でも数字がわからないほうが魅力的だよ。沢村(栄治・巨人)さん、スタルヒン(巨人など)はいまだに『速かった』って言われてる。でも、球自体は見ることができないから、『どんな球投げたんかな』って惹かれるもんね」。
すでにレジェンドの域に達する二人。田淵さんは江夏さんを称賛する。
「俺たちがいなくなっても、『江夏豊』って名前はずっと残ると思うよ。あのピッチャーはすごかったって。9連続奪三振をやってとか。これ、破られないよ」
この試合で、セ・リーグは江夏さんを含め5人の投手が登板し、オールスター初のノーヒットノーランを記録した。計16個の三振を奪い、外野へ飛んだのは2球だけ。江夏さんは殊勲選手賞(現在のMVP)と優秀投手賞に選ばれた。
「人気のセ、実力のパ」と言われた当時のプロ野球。いまと違い、新聞やテレビでの取り上げられ方も全く違っていた。大記録も「当時だからできたんだ」と江夏さん。
「パのどんなにいい選手でも、人気ではセに勝てない。だから何とか『セ・リーグを負かしてやろう』っていう空気だったね。エース級の投手の球を打ってやろうじゃなくて、『ホームランを』打ってやろうって、力いっぱい、豪快なスイングをするんだよ。公式戦だったら、あそこまでむちゃな振りはしないと思う」