マックイーンを語るうえで外せないのは、親子三代による天皇賞制覇。メジロ牧場は天皇賞を勝つことを至上命題として数々のステイヤーを輩出した。初代にあたるメジロアサマは当時3200メートルだった1970年の天皇賞(秋)を勝利。その数少ない産駒の中から82年の天皇賞(秋)をレコード勝ちしたメジロティターンが出た。その息子が三代目のメジロマックイーンで、マックイーンはまさにメジロ牧場の意思が具現化したような存在だった。
マックイーンが菊花賞を勝った90年クラシック組は、メジロの歴史の中でも最高の当たり年。この世代で最も早く出世したのは弥生賞を勝ってクラシック候補に躍り出たメジロライアンだった。
だがライアンは皐月賞でハクタイセイの3着、ダービーでもアイネスフウジンの2着に敗れ、秋の菊花賞では遅れてきた同期生のマックイーンの3着に終わってクラシック無冠に。暮れの有馬記念でも奇跡の復活を遂げたオグリキャップの2着に甘んじた。それでも翌91年の宝塚記念ではマックイーンを2着に下して悲願のG1初制覇を達成している。
クラシックで輝いた2頭に比べて条件戦からコツコツと叩きあげて大成したのがメジロパーマーだ。クラシックには出走すらかなわず、G1初挑戦だった91年の天皇賞(春)は16番人気で13着。その年の夏に札幌記念で重賞初制覇するも、秋には障害レースに転向させられるなど雌伏の時が長かった。
再び平地のレースに戻った92年は5月に新潟大賞典を7番人気で勝って重賞2勝目を挙げるも、続く宝塚記念は9番人気。しかしパーマーはマックイーンもライアンも不在だったこのレースを見事に逃げ切り、ファンをあっと言わせた。さらに年末の有馬記念では15番人気でまたしても逃げ切りに成功。首の高い独特のフォームで大穴を開ける個性派の逃げ馬として人気が高い馬だった。
この3頭のうち、最も種牡馬として成功したのはメジロライアンだ。96年にデビューした初年度産駒からいきなり阪神3歳牝馬ステークスでG1制覇のメジロドーベルが登場。ドーベルは翌97年もオークス、秋華賞を勝利し、98年からはエリザベス女王杯を連覇してG1を通算5勝。最優秀3歳牝馬、最優秀4歳牝馬、そして最優秀5歳以上牝馬を2回と、4年連続でJRA賞に選出されるなど長く活躍した。