そして問題となった場面となるのだが……。
「ロッテの松川虎生捕手が、マウンドに向かう白井球審を遮るように立ち塞がり、スポーツメディアは、松川が佐々木を守った、というような表現をしました。冷静に言えば、あれは審判権限の侵害なんですが、そういう指摘をしたメディアはなかったでしょ。つい最近完全試合を達成したヒーロー、佐々木・松川という若きバッテリーをネガティブに書くことを避けたんです」
別の記者が、こんな解説もしてくれた。
「白井審判は元々、甲高い声で有名な人でね。マウンドで投げている投手が『うるさい』と言うような審判で、目立ちたがり、仕切りたがりだと思われてます。だからこそ佐々木を悪く書かず、大人げない白井審判が悪、という原稿を書けたって部分もあります」
前出のベテラン記者に聞くと、こう言った。
「そういう部分はあったかもしれませんが、これは我々スポーツメディアが佐々木を“絶対善”として扱っている、ということなんですよ」
絶対善と聞き、私はОNを思い出す。プロ野球の隆盛を極めた巨人の王貞治と長嶋茂雄。野球選手としてすごいだけでなく、人間としても立派だと思われている特別な存在は長い球史の中でも、ほんの一握りだ。
ОN時代を知る古株記者に聞いてみた。
「そう言えるのはОNと松井秀喜、イチロー、それに今の大谷翔平ぐらいでしょ。王さんが『世間が“王貞治”と見てくれるから、それを裏切れないよ。打てなかったとき、酔って、くだまきたい日もあったけどね』と言ってたのを聞いたことがあります。王さんは元々、聖人君子タイプじゃない。ストレスも大変だったろうけど、それを自制することができた。だからすごいんです」
一介の雑誌記者だった私自身、驚いたことがある。まだ東京に住んでいた頃の王さんに取材を申し込むと快諾してくれて、しかも、指定されたのは某私鉄駅前にあった有名コーヒーチェーンの小さな店舗。恐縮したが、そこで全然偉ぶらずに話してくれて、だからこそ、スケールが違う、と思わせてくれた。