興南高の左腕エースとして2010年に沖縄県勢初の春夏連覇の原動力となり、“琉球トルネード”と呼ばれたのが、島袋洋奨だ。

 小学6年の志真志ドリームス時代、制球力をつけるため、当時145センチと小柄だった体を目一杯使って投げるフォームに変えたのが、トルネードの原型になった。

 高校時代も173センチと投手としては小柄ながら、背中のエースナンバーがはっきり見えるほど腰を捻るトルネード投法から140キロ台の速球とスライダー、ツーシームを繰り出し、甲子園13試合で平成最多の通算130奪三振を記録した。

 だが、中大進学後、2年春の開幕戦で延長15回226球を一人で投げ抜くなど、3試合で440球投げた直後、左肘内側側副じん帯を痛めて長期離脱。同年秋に復帰し、3年秋には自己最速150キロをマークしたが、今度はイップスに悩まされる。捕手に投げたボールがバックネットを直撃し、ついにはキャッチボールもままならなくなった。

 4年時に主将になった島袋は、極度の不振で登板機会に恵まれないなか、攻守交替でナインがベンチに引き揚げてくるたびに、こぼれるような笑顔で出迎え、ムードを盛り上げようと黒子役に徹していた。努めて内心の苦しさを表に出すまいとしているようにも見えた。

 そんな姿を筆者はスタンドから何度となく見ていたので、4年秋の青学大戦で、復調途上の島袋が6回4失点ながら、打線の強力援護で1年ぶりの白星を挙げたときは、同じ大学のOBである以前に、一野球ファンとして「良かったな」と共感を覚えた。

 ソフトバンクでは在籍5年間で1軍登板2試合にとどまり、花開くことなく終わったが、12年前の甲子園を沸かせた“トルネード旋風”は、今も多くのファンの記憶に残っている。

 野茂そっくりのトルネード投法で注目されたのが、元巨人の高井俊だ。

 BCリーグ・新潟時代の15年6月にNPB入りを目指し、尊敬する野茂のフォームを参考にモデルチェンジ。下半身を強化してフォームが安定すると、球速が10キロ以上もアップし、16年5月の楽天2軍との交流戦で最速152キロをマークした。

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ファンがロマンを抱いた高井の投球