撮影:新田樹
撮影:新田樹

■消えたカレイスキーのおばあさんたち

 新田さんが再びサハリンを訪れたのは2010年。初めてカレイスキーと出会ってから14年の歳月がたっていた。

「サハリンのことはずっと心の中で引きずっていました。2007年ごろから若い人に声をかけて、正面から撮影するというシリーズを少しずつ撮りためてためていくうちに、いまなら撮れるかもしれないな、と思ったんです」

 若者を写した作品のファイルを手渡され、ページをめくると、それはよく目にする笑顔のポートレートではなかった。不機嫌そうにレンズを見つめる姿もある。

「別に写真に写った顔が引きつっていてもいいじゃないか。それが自分の作品の個性だもの、って思えるようになりました」

 しかし、14年ぶりにサハリンを訪れた新田さんは戸惑った。バザールで花を売っていたカレイスキーのおばあさんたちの姿は消えていた。

「みんな高齢になって、引退してしてしまったんです。あの人たちはいったいどこへいったんだろう、と」

 途方に暮れた新田さんはユジノサハリンスクの日本国総領事館を訪ねた。そこで「サハリン韓人老人会」を紹介してもらい、会合に顔を出すると「あら、あなた日本から来たの? こっちに来なさい」と、声をかけてくれた小柄な女性がいた。それが金公珠さんだった。

「みんなから『姉さん』って呼ばれている金公珠さんは日本語がすごく上手で、日本の統治時代の記憶を濃厚に持つ方でした。その話を聞かせてもらいながら写真を撮影しました」

 金さんと出会えたことについて、「運がよかった」と漏らす。撮影に応じてくれた人はわずかだった。

撮影:新田樹
撮影:新田樹

■2人で並んでNHKの衛星放送を見た

 金さんは現在の韓国出身の両親のもとに横浜で生まれ、3歳のときにサハリンにやってきた。終戦後、94年以降に韓国永住帰国が可能になってからもこの地に住み続ける理由について、こう語った。

<私ね、ふるさとなんかわからないから、恋しいとも思わないし。それに韓国へ永住帰国する人みたいに本当に恋しいと思ったら、私も韓国へ行ったでしょう。私にはふるさとなんかないですね。それに今ごろ韓国へ行ったとしても、子供たちを置いて行けば、今度は二重の離散家族になるでしょう。もういい、私は子供たちのそばで。そう思っています>(『Sakhalin』ミーシャズプレス)

 新田さんは金さんの家を訪れると、2人並んでソファに腰かけ、NHKの衛星放送を見た。

「サハリンって、衛星アンテナを立てるとNHKのBS放送が映るんですよ。でも、最初に行ったころはチューナーが手に入らなかった。それでぼくが日本からチューナーを持って行っていったら、『あっ、映った』って。そんなこともあって仲よくしてもらえるようになりました。初めのうちは、連絡すると『子どもたちが来るから、別の日にして』って言われたんだけど、逆に『みんなが来るからいらっしゃい』って、言ってくれるようになった。ぼくのことを大事にしてくれるようになった」

 しかし14年春、金さんは自宅で倒れ、数日後、静かに息を引き取った。翌年、新田さんはカレイスキーのおばあさんたちを写した作品「サハリン」を発表した。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年の「土用の丑の日」は7月と8月の2回!Amazonでおいしい鰻(うなぎ)をお取り寄せ♪
次のページ
当時の情景が鮮やかに思い浮かぶ李富子さん