「加藤九段や木村十四世名人の頃とはやっぱりタイトルの数がまったく違うので。並んだという気持ちはまったくありません」(藤井)
タイトル戦番勝負での通算成績は28勝4敗(勝率8割7分5厘)。大山康晴十五世名人(故人)、中原誠十六世名人(74)、羽生善治九段(51)、渡辺明名人(38)といったレジェンドたちは6割前後だ。五番勝負で3勝2敗の勘定になるわけで、それで十分に天下を制してきた。もちろん藤井の対局数はまだ圧倒的に少ないが、現状、いかに図抜けた勝率かがわかるだろう。
また藤井は番勝負で13連勝を達成した。これは羽生が平成前期、七冠達成前後にたたき出した連勝記録に並ぶものだ。あとは大山が昭和の半ば、その全盛期に残した17連勝という大記録が控えている。藤井がこれから始まる棋聖、王位の防衛戦で勝ち進めば、その更新も視野に入ってくる。
■楽ではない戦いが続く
五冠を堅持した藤井は残る三つのタイトル、王座、棋王、名人を獲得すれば夢の八冠制覇達成だ。ただし王座挑戦権を争うトーナメントで大橋貴洸(たかひろ)六段(29)に敗れたため、今年度の王座獲得はなくなった。藤井はこれで大橋に2勝4敗。だからといって番狂わせという感もない。大橋ほどの実力ある棋士ならば、藤井に勝ってもなんら不思議はない。藤井もまたこれから、決して楽ではない戦いが続いていく。
藤井竜王への挑戦権を争うトーナメントでは、本命の永瀬拓矢王座(29)らタイトル戦常連のほかに、大橋や伊藤匠五段(19)といったフレッシュな顔ぶれも名を連ねた。今期叡王戦の出口のように、誰が挑戦者になっても不思議はない。
藤井が棋王挑戦権を争うトーナメント、そして名人挑戦権を争うA級順位戦はこれから始まる。ハードスケジュールが続く藤井にとって追い風となるのは、今年から「名古屋将棋対局場」が開設されたことだ。愛知県瀬戸市在住の藤井はこれまで、タイトル戦以外の対局は基本的に、将棋会館のある大阪か東京まで移動していた。ホームの地である名古屋でいくらかでも指せるようになれば、移動時間も大幅に短縮される。
藤井は幼い頃から、地元では才能を知られていた。また同時に、負けると大泣きすることでも有名だった。人目をはばからず悔し涙を流していた少年は時を経て、東海地区にタイトルを持ち帰り、史上最年少五冠となった。成長したのは将棋の技量ばかりではない。敗者を気遣う優しさもまた、将棋界の王者にふさわしいものだ。(ライター・松本博文)
※AERA 2022年6月6日号より抜粋