平成唯一の三冠王・松中信彦(ソフトバンク)は118死球で、王貞治(巨人)は114死球。一方、落合博満(ロッテほか)は63死球と、強打者の割には少ない。落合の代名詞といえば神主打法だが、「頭に向かって球が飛んでくるので、死球から逃げることを第一に考えて、あの打撃フォームになった」と後に語っている。落合はよけ方が上手だったのだろう。

 清原和博(西武ほか)は史上1位の196死球。プロ4年目の89年、死球をぶつけたロッテの平沼定晴にバットを放り投げ、ヒップアタックした場面は有名だ。清原には「2日間の出場停止」が下され、連続試合出場は490でストップ。「よけ方が下手」と言われたが、死球のシーンを見ると「よけなかった」が正解だろう。後に本人もそう語っている。

 史上3位の161死球は衣笠祥雄(広島)だ。踏み込んで打つフォームだったため、内角高めの投球にもんどり打って倒れ込むシーンがよく見られた。ぶつけられても、ユニホームの泥を払い、何事もなかったように一塁に向かう姿は紳士的だった。79年に西本聖(巨人)から死球を受け、左肩甲骨を骨折した。連続試合出場ストップの危機だったが、代打で出場して三振の結果に。試合後の「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のために振りました」というコメントはファンの心をわしづかみにした。

 史上13位のヤクルトの青木は117死球。日本を代表するヒットメーカーだが、メジャー時代の2015年、死球がヘルメットに当たり脳振とうを起こしている。打撃フォーム的に死球が多いのだろう。ラロッカは109死球。04年広島時代に23死球、07年オリックス時代に28死球だった。失礼ながらよけ方が上手ではなかったのかもしれない。

 捕手と死球は切っても切り離せない関係だ。史上4位の阿部慎之助(巨人)は152死球。そのほかにも史上10位の田淵幸一(阪神ほか)の128死球、野村克也(南海ほか)の122死球、加藤俊夫(ヤクルトほか)の116死球、谷繁元信(横浜ほか)の114死球、城島健司(ソフトバンクほか)の113死球、古田敦也(ヤクルト)の111死球と、通算100死球以上の選手23人中、7人が捕手だ。あくまでも推測だが、主力打者がぶつけられると、報復的な内角球が相手捕手に投じられるのかもしれない。捕手は自分がぶつけられれば、以後は相手チーム打者の体近くに投球を要求しづらくなるというわけだ。死球を受ける打者は強打者に限ったわけではないことがわかる。

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