翌年に生まれた息子も、早産が決定的になった時点でター先生のいる病院へ移り、出産しました。いつの間にか1時間の道のりも気にならなくなり、その後の子どもたちの入院は全て、ター先生にお願いしました。
■介助を手伝う祖父母も年を重ね
当時、私は30代前半、二世帯同居する私の母は60歳になったばかりでした。自分自身も両親も体力があり、私が障害の重い長女の世話にかかりきりになっても、母や近くに住む義母が他の2人を見てくれていました。
けれども、当然ながら、子どもの年齢が上がると大人も年を重ねます。
その後10年程の間に、長女は母よりも身体が大きくなり、母は夜間の運転に不安が出始め、なかなか以前のように気軽に頼むことが難しくなりました。
■転院で往復2時間が10~20分に
わが家の生活も、次女の塾通いの送迎が日常になったり、足が不自由な息子の学校の用事が増えたりと、長女の通院やリハビリが中心とはいかなくなり、さらに長女に酸素吸入や人工呼吸器などの医療的ケアが必要になると、受診回数も増え、ター先生の外来はアドバイザーのように半年に1度程度通うことにして、双子を出産した自宅近くの病院を主治医にする方が合理的なのではないかと思うようになりました。
でも、10年以上も地域医療の枠から離れていたため、ター先生のいる病院以外とのつながりがほとんどありませんでした。
ところが、ある時に長女が呼吸不全を起こし、自宅近くの総合病院へ救急搬送されて1か月近く入院したのをきっかけに、ター先生に相談し、入院中の病棟担当だった先生にこの病院を主治医に変更したいとお願いしてみました。
けいれんのコントロールのために神経科には3か月に1度通っていたので、今後はその先生を主治医として、人工呼吸器や在宅酸素などの医療機器を管理してもらうことになりました。
はじめは新たな転院先の病院に慣れるまでに少し戸惑いましたが、退院後、医療機器の管理のために月に1度の定期通院が始まると、とても楽になりました。何より、車で往復2時間以上かかっていた移動が10~20分で済むため、長女の身体の負担も減ったと思います。
ちょうど運営しているNPO法人でも同様の相談が増え、NICU(新生児集中治療室)から退院した赤ちゃんとパパやママに、早期から地域での支援が必要なのではないかと考え始めたのもこの頃でした。
■AYA世代を診る医師が少ない
いったんは地域への移行はうまくいったと思っていましたが、それからさらに数年たち、長女が自宅近くの総合病院の小児科を卒業する時期が近付いてきました。ここで問題になったのが、その後の医療的ケアの管理をどこにお願いするかということです。人工呼吸器と酸素吸入が必要な長女は医療と離れることができませんが、AYA世代(Adolescent and Young Adult=思春期と若年性)と言われる、子どもと大人の中間層を診てくれるドクターはすごく少ないのです。
そんな時に声をかけてくれたのが、小児科医の友人、あーちゃんでした。
たまたま、他にも在宅診療で診ていきたい患者さんがいるとのことで、長女の胃ろう交換も訪問診療でできるように準備していくと言ってくれました。あーちゃんは信頼をおける小児科クリニックの院長ですが、当時は訪問診療の経験はなかったそうです。
それでも、地域で暮らす医療的ケアが必要な子どもたちのために、在宅診療を行っているクリニックに視察に行ったり、頻繁に勉強会に出たりして、本当にクリニックで訪問診療ができるように整えてくれました。
■拠点病院と在宅医の連携
つい最近あーちゃんに、どうしてこんなに医療的ケア児とのかかわりに熱心になったのかと聞いてみました。
「私はとにかく不公平が嫌いなの(笑)。患者さんのご家族が自分を犠牲にして生活している社会に何かできないかと思った。やっぱり、小さなうちから拠点病院と在宅医が連携して、患者さんが地域で生活するってすごくだいじなことなんだよ。在宅診療は学ばなきゃいけないことがたくさんあるけれど、何とか形にしていかないといけないと思う」
主治医である拠点病院とかかりつけ医の連携により、赤ちゃんがNICUを退院後すぐに、地域で安心して暮らすことができるようになります。大きな病院は患者数が増えすぎて困り、パパやママは遠くの病院への通院の多さに疲弊してしまう現状……これを緩和するためにも、地域での受け入れと連携づくりが急がれます。
※AERAオンライン限定記事