「逃避でした。ただその時は苦しみの正体がよくわからなかった。でも、それがパワハラの一種による傷だということが、チキさんの言葉で一つずつ区分けされ、理解できるようになったんです。私だけでなく、チキさんの話を聞いてモヤモヤの理由がわかるリスナーさんはとても多いと思う」
生きづらさを抱え、困難に直面している人は多い。そこには社会的な背景や原因がある。実態を調べ、データで裏付けて言語化、見える化し、問題解決や改善へとつなげる。言いっぱなしにせず、社会を変えるためにどうすればいいのか。荻上がラジオをはじめ様々なメディアで発信する時にいつも意識していることだ。肩書は「評論家」。といっても、捉えどころのないタイプのそれではなく、専門知を使って社会問題の解決の道を探るアクティビストだ。一般社団法人社会調査支援機構「チキラボ」代表として、様々な社会問題の実態調査と情報発信を行い、いじめ問題の研究や啓発活動を行うNPO法人「ストップいじめ!ナビ」の代表理事も務めている。また「『ブラック校則をなくそう!』プロジェクト」を立ち上げ、いじめと関わる校則の理不尽な指導是正を訴えている。
アグレッシブに社会と正対し、解決へ向けての活動を行う行動力と発信力の原点には、少年期の理不尽な体験が影響している。
1981年、兵庫県明石市生まれ。小学校2年の時、父親の仕事の関係で埼玉県浦和市に転居する。学校で上級生から「お前が関西から来た奴か。ちょっと関西弁をしゃべってみろ」といじられた。「そんなこと急に言われても、わからへん」とおもわず関西弁が出た。とたんに笑われた。いじめの日々が始まった。当時、太っていた荻上は、運動は苦手、社交性がなく、本を読んだり、ゲームをしたりするのが好きだった。学年が上がり、クラス替えがあっても、いじめは続き、中学1年頃までつづいた。小学校3、4年生の時のあだ名は「貧乏神」。中1の時は「便器」。プロレスのドロップキックを食らい、上履きに画鋲を入れられ、傘を取られ、ランドセルを焼却炉の中に投げ込まれた。
毎日のようにいじめの方法が変わった。ボール遊びをしていて絡まれ10分間ぐらい蹴られ続けたこともある。そういう時は、自分の尊厳のラインを決めて、一線を越えたら反抗した。
「だけど反抗するといじめはエスカレートします。だから対処せず、時間が過ぎるのを待ちました」
とは言え、いじめの期間があまりに長い。どのように耐えたのか。