大宮エリーさん(写真右)と加藤登紀子さん(撮影/大野洋介)
大宮エリーさん(写真右)と加藤登紀子さん(撮影/大野洋介)
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 作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。3人目のゲストは、在学中に歌手デビューした加藤登紀子さんです。

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*  *  *

大宮:大学時代、部活とかしてました?

加藤:演劇をしようと思って入学早々部室を探したんだけど、女子ボート部に勧誘されて。これがみんな美人だったの。先輩が「ボート部に1年入ると美人になる」って言って。

大宮:え、で、まさかボート部に?

加藤:入ったわよ。男子ボート部の先輩がコーチをしてくれて、すっごいすてきだった。でも、ボートを担ぐときは一切手伝わない。スポーツだから自分たちでやれって。

大宮:それでやめたとかじゃないですよね?(笑)

加藤:結果的には、やめたの(笑)。私が入学した1962年は大管法(大学管理法)反対のデモがあったの。私、16歳で学生運動やってた人として有名だったから、勧誘がきて。「ボートなんかやってんじゃない」と、汚い学生寮に連れていかれ、学生運動に入っちゃって。

大宮:昔の仲間……(笑)。

加藤:例えば戦後、GHQに占領されて、そのときデモしたのは東大生。

大宮:なんかうれしいなあ。でも学生の反対運動が起こっても(60年に)安保は通っちゃった。

加藤:兄がそのとき「負けた」って言ったら、母が「勝つつもりだったの? 相手は日本、しかもバックにアメリカがいる。こんなものは敗北には入らない。負け続けてもやらなきゃいけないんです」って。母の演説、私の心のシーンになりました。

大宮:参加した大管法は?

加藤:あれは、勝ったんだと思う。

大宮:本当ですか。要するに学生の意見が国に聞き入れられた?

加藤:押し返した。安田講堂前のイチョウ並木が学生でいっぱいになった。その頃の学生のエネルギーはすごかった、それをあなたに伝えたい。

大宮:はい。熱気感じます。

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