「各自ができることをすべきだ。メダルの売却は、祖国の犯罪への、せめてもの罪ほろぼしだ。僕はマリウポリの戦争前の姿を記録した写真集を出したい。マリウポリは消しゴムでこすったみたいに地図から消された。その悲惨さを皆に伝えるんだ」
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実はこれは、読者が読むに堪えうる言葉を選んで筆者が翻訳している。実際は一部かなり汚い言葉を使っており、インタビューにはムラトフ氏の「怒り」がにじみ出ていたように感じた。
ただ、ムラトフ氏はウクライナ政府を直接支援する気はないようだ。オークション後の会見で、落札金を国連児童基金(ユニセフ)に寄付する理由を「率直に言って、どこの国の政府も信用していないからだ」と述べた。ウクライナについて「激情にかられた攻撃は、『犠牲者』の振る舞いではない」とも話す。ロシアの兵士も死んでいる。
「遺体と捕虜の交換、そして一日も早い停戦を求めたい」
このようなどっちつかずの態度は、日本人には言動に矛盾があると感じられるかもしれない。しかし、彼の発言を理解するためには、ロシア国民のおかれた状況を説明しなければならない。
今のロシアは、侵攻を「戦争」と呼ぶだけで逮捕される。ロシア政府が「戦争」批判を封じるフェイク法を制定したためだ。政府に従い「特別軍事作戦」と言わねばならない。最高刑は禁錮15年。トルストイの小説「戦争と平和」の表紙を見せながら黙って路上に立ったロシア人も、「軍をおとしめた」と逮捕された。
ノーバヤ・ガゼータもウクライナ侵攻後の3月末、発行を停止せざるをえなくなった。政権批判をしていた他の独立系メディアもすべて閉鎖した。新聞やウェブで反戦運動を伝えることも、戦場ルポを載せることもできない。
平和賞の授賞理由だった「言論の自由の守り手」ではもはやない。メダルの意味はあいまいになったと彼は考えているのかもしれない。
ノーベル平和賞といえども、日本人にとっては遠い国の話で、ムラトフ氏をよく知らない人が大半だろう。いったいどんな人物なのか。