ところが、別の女性の特ダネ記者はムラトフ編集長に従わず、チェチェンでのLGBTへの拷問などを取材し続けた。個々の記者を押さえつけたりしないのがムラトフ流。彼女の記事は掲載された。ムラトフ氏は「情報源も証拠も確かだった。それが仕事の基準だ」と述べた。その記者も今年2月、ロシアを去った。プーチン政権に近いチェチェンの人間から脅されたからだ。
■ 「自分はチェキストから脅された経験はない」
体制に批判的なジャーナリストが“消され”、身の危険を感じた記者は亡命する。ロシアでは珍しいことではない。では、なぜ、ムラトフ氏は今まで無事でいられたのか。ここからは、想像の域を出ないものの、理想を掲げながらも地雷を踏まないような慎重さがあり、時には“権力“とも巧みに渡り合ってきたのかもしれない。
たとえば、プーチン大統領がKGB(ソ連国家保安委員会)出身であることはよく知られている。米ニューヨーク・タイムズによると、ムラトフ氏はその後継機関FSB(ロシア連邦保安庁)を強く批判する一方、プーチン氏の私生活に立ち入った記事は書いてこなかったという。反体制活動家の中には、プーチン氏が私腹を肥やしていることをあばき、収監された人もいる。一方、ムラトフ氏はプーチン氏に直接会い、ポリトコフスカヤ事件の捜査開始を求めたこともあった。
ムラトフ氏は昨年、地元メディアに「自分はチェキスト(情報機関)から脅された経験はない」と話した。
だがそのムラトフ氏が今年4月、モスクワで列車に乗ったところを、刺激物の入った赤い液体をかけられ、目を負傷した。犯行声明がロシアのSNSに出た。
「『ブチャの虐殺』のウソは支持するのに、(ウクライナで)我々の若者が喉をかっきられていることは無視する。我々は君たち全員のもとに現れる。待っていろ!」
米ワシントン・ポスト紙は「脅迫の背後にロシアの情報機関がいる」と書いた(4月29日)。発行停止中のノーバヤ・ガゼータは独自に調査を始めた。1週間後、モスクワ近郊に住むロシア人の男(41)を突き止め、実名と経歴、顔や全身の写真を公式サイトにアップ。「ムラトフの目撃した男に間違いない。なぜムラトフの列車の席を特定できたのか。このままでは同じ事件が続く」と、警察に捜査開始を求めた。しかし、当局に動く気配はない。