右利きへの矯正は
「3歳前後から10歳まで」避ける
加藤:双雲先生は左利きコンプレックスはありましたか? 僕はまさに左利きゆえの脳の発達をしたようで、言葉が上手く出ないというのがコンプレックスだったんですけど。
武田:今はおしゃべりですけど(笑)、小さいときはもしかしたら遅かったのかもしれません。
加藤:運動野っていうのは右脳と左脳の両方にあって、その中で脚、手、口などとそれぞれを司る部位がヘアバンド状に連なっているんですね。で、左手って右脳で動かすんですけど、脳の言語野は9割方、左脳にあるんです。だから右利きの人が字を書くと、手を動かす運動野も左脳、言語野も左脳、ということで連動が早いんです。でも左利きの人が字を書くと、手を動かす運動野は右脳、言語野は左脳となる。両方の脳を使わないと字が書けないんです。
武田:両方を使っているほうが良さそうに聞こえますけど。
加藤:右脳と左脳をつなぐ脳梁や神経線維が十分に発達した大人なら、いいんです。でもまだ脳梁ができ上っていない小さいときにそれをやると、スムーズにいかないんですよ。だから脳梁や神経線維が活発に成長している3歳前後から10歳近くまでで右利きに直そうとするのはやめてください、と言っているんですけど。その頃に言葉がどんどん出てくるようになるのに、右脳と左脳の動きが入れ替わるとすごく混乱しますから。
武田:僕はもっと早く、2歳頃から右手で筆を持ち始めたわけですけど、それはどうなんでしょう?
加藤:2歳だとあまり影響がないかもしれません。そもそも2歳くらいまでは私たちは右手も左手も両方使っていて、そこからだんだんとラクなほうの手を選択していきますから。双雲先生は2歳で筆を持っているので、字を書くのは右手のほうがラクになっていて、自然と右利きを選択したのでしょう。だから脳の混乱も起こらなかったんだと思います。
武田双雲の“失敗がない書道”は左利き、ADHDならでは?
武田:先生は4歳で、自分で右利きに変えたんですよね?
加藤:そう、だから今も話すのは苦手です。とくに僕の場合はADHDも絡んでいて、どんどん違う発想が出てくるので話が飛びやすいというのもあるんですけど。
武田:僕も話がめちゃくちゃ飛びます。それが面白いと言われて、講演会のオファーをたくさんいただくんですけど(笑)。僕の場合、講演中も突然パッと違うところに話が飛んでいくから、みんなハラハラしながら聞いている。でも全体的には何となくまとまっていて、最後はみんな泣いている、みたいな(笑)。書道やアートの作品作りでも、そんな感じです。だから失敗はない。
加藤:ちょっと線がズレても、最終的にはうまくまとまる、と。
武田:そうですそうです。なぜなら出てきたものに反応して書いていくから。僕にとって書道って、一画目が決まって初めて二画目が決まり、二画目が決まって三画目が決まり……というふうに、その都度バランスを合わせて出来上がっていくもの。だから余程のことがない限り、失敗がないんです。ところが40年、50年の経歴を持つ方でも、この微調整ができないらしいんです。僕がすんなりできたのは、左利きとかADHDが関係しているのかもしれないですね。
加藤:ADHDゆえ未来をイメージしにくいところはありますけど、“今”の空間的な最終形はイメージしやすい、というのはあるかもしれませんね。
武田:バランスがどうやったら崩れるか、というのが分かっているから、その違和感に異常に敏感なんだと思うんですよね。だから僕、コロナ禍になってから毎日インスタライブとかLINEライブで歌を歌っているんですけど、それも音が外れたら外れたで、それに合わせて違う歌を歌っていったりする。結局、聴いてくれている人が心地いいと思えばいいわけですから。一曲の音程ではなく、聴く人全体の感情のバランス、というバランスのとり方もありますよね。
加藤:それも空間認識能力の高さからくるものでしょうね。それにしても双雲先生は歌も得意なんですね。視覚と聴覚の両方が優れているというのは、本当に恵まれていると思います。大抵はどっちかに偏って発達していくもの。僕なんかは聴覚が非常に弱いので、それが音読障害ともつながっているんですけど。でも音を評価するということはできる。そんなふうにちょっとした脳の回路のズレで、いろんな障害が出てくるわけです。
脳の得意不得意はだれにでもある
武田:障害というか、たしかにあるところから見れば何かが凹んでいるかもしれないけれど、違うところから見たら、その分また違う何かがすごく突出している可能性があるってことですよね。
加藤:その通りです。ただ双雲先生は視覚と聴覚、さらには運動もできたとおっしゃっていたので、脳的にはどこを犠牲にしているのか。それは先生の脳を見てみないことには分からないですけど。
武田:分かりやすいのが、僕は何でもすぐになくすんですよ。物忘れがひどいというか。たとえばホテルにジャケットを忘れたまま会場に行って、「あ、忘れた!」と取りに帰ろうとするんだけど、その途中で美味しそうなそば屋さんを見つけて食べたら、今度はそこにマスクやスマホを忘れて。再びホテルに戻ろうとしたら「あれ、マスクがない」となって、また取りに戻って、全然ホテルにたどり着かないんですよ。今は秘書と妻がフォローしてくれているので社会不適合ではないですけど、これが一人暮らしだったら危ないと思います。
加藤:僕も学生時代、洗濯中に他ことに夢中になり、洗濯機の水をあふれさせたことがあります。どうしても他のことに意識が向いてしまうんですよね。
武田:僕も先生も、それこそ書道家と医師っていう専門性があるから、こんなポンコツだって誰も分からないですよね(笑)。
加藤:本当に、ポンコツコンプレックスの塊ですよ。とくに僕の場合は左利きコンプレックスも強かったから。でもそれがなければ脳研究をここまで継続していなかったと思います。いつか脳の世界で圧倒的な存在になって、左利きコンプレックスをひっくり返してやろうと思っていいましたから。ADHDで興味がいろんなところに飛ぶのに、左利きだけは変わらないので、右利きだけの世界から、左利き優位の世界への気持ちは50年以上続いていますね。
武田:分かります、その気持ち。ADHDって圧倒的なナンバーワンかオンリーワンしかないんですよね。競争は自分のペースじゃないからめちゃくちゃ苦手。
加藤:いや、それにしても双雲先生は面白いケースですね。左利きとADHDが天才的な調和を見せたという……。左利きでADHDという子を持つ親は、もしかしたら「天才だ」と言っていればいいのかもしれない(笑)。ここまでADHDをネガティブなことにしなかったなんて、双雲先生のご両親は本当にすごいと思います。
(構成:山本奈緒子)