ありがとうございます。まず、平昌オリンピックで連覇した時点で、競技を終えてプロとしてさらにうまくなっていきたいなーっていうふうに思った時期があったっていう話を(さきほど)しました。あのままの自分だったら、今のこの自分の努力の仕方だったり、自分がどうやったらうまくなるのかとか、そういったことを感じられないまま終わってしまったかもしれないなって。ほんとの意味で終わってしまったかもしれないなって思いました。

 あのころはまだまだ4回転ジャンプもルッツまで、ルッツフリップっていう、ほんとにある意味今の新時代みたいなものを象徴するようなジャンプが増えてきている段階ではありました。けれど、そういったジャンプたちを自分も追い求めて、またフィギュアスケートのいわゆる一番うまくなれる時期っていうか、まあフィギュアスケーターってこれくらいの年齢で競技を終えるよねって、ここからうまくならないよねって、むしろ停滞していったり維持するのが大変になったりするよねっていうそういう年齢がだいたい23とか24くらいで切り替わってしまうのが定例みたいなものでした。

 だけど、僕自身は23歳で平昌オリンピックを終えて、それから今の今までジャンプの技術もふくめてかなり成長できたなって思ってるんですね。それは、そのなかでどういう努力をしたらいいかとかどういう工夫をしていけばいいのかとか、そういうことがわかったからこそ今があるんだって思っています。そういう意味で今が一番うまいんじゃないかなって思っています。

 だからこそ、その経験があったからこそ、これからもたとえ自分が30になろうとも、40近くなろうとも、40までスケートやってるかはちょっとわかんないですけど(笑)、でもそれまで、今まではこの年齢だからできなくなるなって思ってたことがなくなるんじゃないかなって、ちょっとワクワクしてます。そういう意味ではやっぱり北京オリンピックまでやり続けてきて、本当に努力し続けてきて、これ以上ないくらい頑張ったと言える努力をしてこれてよかったなって思いますし、またこれからも改めて色んな努力の仕方だったりとか頑張り方だったりとか、色々試行錯誤しながらさらにうまくなっていけたらいいなって思います。

【会見全文(5)「誰を信用していいのかわからないときもあった」】へ続く

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【会見全文(1)「プロのアスリートとしてスケートを続けていく」】

【会見全文(2)「平昌五輪の時点で引退しようと思っていた」】

【会見全文(3)「現状に満足したことは基本的にない」】

【会見全文(4)「本当の意味で終わってしまったかもしれない」】

【会見全文(5)「誰を信用していいのかわからないときもあった」】

【会見全文 (6)「引退でもなんでもない。人間として美しくありたい」】

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