当事者として選んだサバイバル戦略

 私たち当事者は、まわりからジロジロみられたり、侮辱や差別を受けた体験を共通して持っている。ジロジロ見られたとき、どのように対処するか。当事者が集まると、それが話題になる。

 NPO法人ユニークフェイスでもその議論があった。藤井さんは、ジロジロみられたら、「ニコニコ笑って、お世話になっております、と声をかけてお辞儀をするようにしています」と満面の笑顔で説明した。それに対して、私は「相手は私たちを差別をしている、そんなことは絶対にしたくない」と応じた。

 藤井さんは笑顔で私を見つめてきた。「偽善的な笑顔だな」と思った。藤井さんの目を凝視した。海綿状血管腫で囲まれた右目の、その奥底をのぞき込むような勢いで。藤井さんの右目から悲しみ、苦痛を感じたとき、「この人の笑顔は、差別から身を守るための盾なのだな」と感じた。

 議論はやめた。サバイバルにはさまざまな方法がある。藤井さんは笑顔を選んだ。私は文筆でサバイバルしてきた。

「畏怖から親愛へ」を実現した偉業

 藤井輝明とはどういう人物だったのだろうか。

 40代で当事者としてその差別体験をカミングアウト。その後、ひとりで始めた「ふれあいタッチ授業」は好評で、全国で約2500の学校、団体で講演した。

 ひとつの学校で仮に200人の生徒が受講するとして約50万人になる。彼は声高に差別を語らず、差別した人間を糾弾しなかった。笑顔で丁寧に子どもたちに、その体験を語っていった。偉業である。これほどの数の講演をした当事者は藤井さんが初めてだろう。ほんとうの意味のパイオニアだった。

 私は、彼のふれあいタッチ授業を聴講したことはない。しかし、ある小学校で、彼の授業のやり方をマネしたことがある。授業の最後に血管腫を子どもたちに触ってもらったのだ。

 授業の前には、私の顔を見て「気持ちが悪い」と言っていた子どもたちが、私の体験を聴き、最後に血管腫をさわったとき、「あたたかい、ふわふわしている」と歓声を上げた。

「これが藤井さんが見ていた風景なのだ」と思った。それは「風景の逆転」である。気持ち悪いと忌避している子どもたちが、私たち当事者の生の声を聴き、その肌にタッチすることで、「同じ人間なのだ、化け物ではない」と五感で感じ取る。

 子どもたちの表情が「畏怖から親愛の情に逆転する」。それは驚くべき体験だった。藤井さんはこの体験を、数え切れないほどの子どもたちと共有してきたのである。

 藤井さんは感動したに違いない。ふれあいタッチ授業は、子どもたちへの啓発活動であるだけでなく、彼自身の魂の救済だったのではないか。

 藤井輝明とは教育者だった。差別する感情を、親愛の感情に逆転させる、希有な才能をもった人だった。容貌障害の差別をなくすために笑顔を武器に戦った。教室でたったひとりで差別に怯えていた少年から、大逆転の人生を成し遂げた。

 心から尊敬する。

 さようなら。外見差別と戦い抜いた同志よ。

(石井政之 ライター・ユニークフェイス研究所、共同編集記者:岩井建樹 神戸郁人)