子どもたちにコブを触ってもらう

 藤井さんと同じ中央大学の卒業生である、北村信治さん(51)からも連絡を頂いた。

「藤井先輩には今年の1月、中央大学学員会(卒業生組織)の新春講演会に講師として登壇いただきました」

 それ以来、藤井さんを自宅に招いて家族ぐるみの交流をしていたという。

 北村さんの子ども2人は、藤井さんの講演「ふれあいタッチ授業」を学校で聴講したことがある。

 3年前の小学3年生のときに、授業を聴いた長女は 「(顔を見て)最初はこわいイメージだったけど、話をきいてみると優しい先生だった」。授業の最後に、藤井さんのコブを触らせてもらった。「ハダ(肌)!!  って感じだった」と笑顔で思い出してくれた。

 北村さんの長男は8年前に聴講している。「やさしくて穏やかな人でした。顔にできものがあるけど、それをマイナスに考えずに生きている、という授業でした」と言う。

「とてもピュアで優しい人だった」と北村さん。「藤井さんは顔のアザをマイナスにとらえるのではなく、『こういう人が世の中で生きている。ひとつの個性として生きているんだ』と子どもたちに伝えていた」と振り返った。

笑顔は差別から身を守るための盾だったのでは

 藤井さんが晩年に勤めた岐阜聖徳学園大学の看護学部長、中尾治子氏にも話を聴くことができた。中尾氏は、藤井さんの最初の赴任地である、長野県の飯田女子短期大学の同僚でもあった。

「飯田にいる頃、藤井先生の顔にある血管腫を見て、学生ははじめは驚いていましたね。でも、藤井先生のおだやかな物腰と、学生に真摯に向き合う姿勢が学生につたわって、学生は藤井先生の容貌を気にしなくなっていったと思います」

 コブのある顔について学生にも話をしていたこともあり、「藤井さんは顔の悩みを乗り越えたのだ」と中尾さんは思っていた。だが、岐阜聖徳学園大学で再び一緒に働くようになり、そうではないかもしれないと感じたという。

「仕事場で珈琲をいれたときにお誘いすると、必ず、お菓子などのお土産をもってくる。学内の会議でもお菓子をもってくる。『そんなことしなくてよいのに』と言っても、気遣いを怠らない。そのうちに、この気遣いは、自分を守るためじゃないか、と」

 藤井さんが絶やさなかった笑顔についても、中尾さんはこう推測する。

「藤井先生は幼少期に受けた差別体験から、自分を守るために笑顔を絶やさないようにしたのでは。態度が大きいとやられてしまうから。だから、藤井先生はいつも卑屈なくらいに低姿勢だった、と思うのです」

 中尾さんの見方に、私も同意する。大学教授になれるだけの知性と実績、そして笑顔と低姿勢、それがユニークフェイス当事者である藤井さんのサバイバル戦略だったのだ。

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