46歳で語り始めたいじめ体験

 しかし、その後、藤井さんは自著『運命の顔』(‎草思社)などで、幼少期に壮絶ないじめにあった、と書いた。

学校の行き帰りには、いつもいじめっ子たちが待ち伏せされて囲まれたなあ。
「バケモノ」っていわれたのは、そうだ、小学校の入学式からだ。
人にジロジロ見られ出したのは、幼稚園のときからだったような気がする。
『運命の顔』(8ページ)

 この記述を読んだときに「藤井さん、やっと本当のことを語り出したな」と思った。『運命の顔』が刊行されたのは2003年。藤井さんは当時46歳だった。

 藤井さんが「嘘をついた」とは思っていない。私と会うまで、自分の体験を第三者に取材される経験がなかったのだろう。だから様子をみたのだ。

 藤井さんをはじめとして、数多くの当事者にインタビューしてわかったことがある。そのひどい差別体験を周りが信じないので、分かってくれない、と諦めて、心を閉ざす当事者が多い。当事者が真実を話すまで時間がかかるのだ。

採用担当者が一言「化け物みたいな顔」

『運命の顔』によると、藤井さんが海綿状血管腫を発病したのは2歳のころだ。

 父親は東京都の職員。母親は助産師と看護師の資格をもっていた。当時の医学では治すことができなかった。右目の近くに血管腫があったため、腫瘍の切除をすると右目が失明するリスクもあった。両親は、医学の進歩を信じて、病状を静観する決断をした。

 勉学に励み、中央大学経済学部を主席で卒業。しかし、就職試験にことごとく落ちてしまう。容貌(ようぼう)を理由とする就職差別だった。大学の教授が「君の成績なら絶対に採用される」という銀行、金融会社からも不採用通知が来た。その数、約50社。

 ある大手企業で採用を担当する幹部は、藤井さんにこう言った。

「うちはサービス業だ。キミの化け物みたいな顔では、フロントに置いていくわけにいかない。成績もよいし申し分ないんだけれど・・・それより公務員試験を受けたらどうですか」
『顔面漂流記―アザをもつジャーナリスト』(石井政之著 かもがわ出版・90ページ)

 失意のときに、たまたま聴講した医療講演会で、ひとりの形成外科医と出会う。藤井さんの血管腫をみて「治療させて欲しい」と提案しただけでなく「うちの病院で働かないか」と励ました。運命の出会いである。医療の世界に飛び込んでいった。

 就職先の病院で、約10時間の手術を受けた。大きくなっていた血管腫を切除した。右目の失明を避けるため、すべての血管腫を取り除くことはできなかった。しかし、容貌は大きく改善された。

 新しい顔を手に入れて、藤井さんは、医療事務の仕事から、医療現場に行きたいと願うようになった。仕事をしながら看護学校に通って看護師資格を取得。それに満足せず名古屋大学大学院で医学研究をスタートした。

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自らのことを語らなかった藤井さん