■こんな事態が起こるとは
10月17日号掲載のルポ「不肖・宮嶋潜入撮『香港は燃えているで』」は、「もはや内戦やないか」という書き出しで始まる。
<高層ビルの谷間にこだまする怒号と銃声。頭上を左右に飛び交うガス弾と火炎瓶で通りはみるみる炎と煙に包まれる(中略)警察も当初は警告を出してから射撃し始めていたが、今では子供がいようといまいが、ためらわずガス弾、ゴム弾をデモ隊めがけてぶち込む。自己防衛のためとはいえ、とうとう実弾まで使用し始めた>
そして、こう結んだ。
<紛争地慣れしていると言われるさすがの不肖・宮嶋も、香港が第二の天安門になるのは嫌やで>
1997年に香港がイギリスから中国に返還されて20年あまり。こんな事態が起こるとは想像もしなかった。
「まさかな、と。まがりなりにも香港は(返還後50年間は)『一国二制度』ですから、デモが起こってもあそこまで武力で押さえつけることはないだろう、と思っていました」
ところが、デモ隊と警察との攻防はさらに激化していく。
11月、デモ隊は香港理工大学に立てこもり、警察との籠城戦となった。そして、「今度は戦争やった」(同、11月28日号)。
「理工大学の前に中文大学がはじけて、その一報を見て成田を出発しました」
■青い水の恐怖
デモ隊は理工大学周囲の道路にれんがを積んで車止めのバリケードを築き、警察と対峙した。
宮嶋さんはその校内に潜り込んだ。最初は自由に出入りできたが、警官隊に完全に包囲されるとそれも難しくなった。
「校内にいたのは、のべ約1週間。最初、水や食料はふんだんにありましたけど、兵糧攻めが始まるとストックしてあったビスケットを食べた。学生派の委員長は、『健康状態はどうですか』とか、けっこう声をかけてくれた。若いのによくできた人でした」
警察は大量の催涙弾を打ち込むほか、放水車を投入し、有毒物質入りの青い水を学生たちに浴びせた。
「自分も大学前で1回浴びましたけど、あれは辛かったですね。酸性の水でやけどをする。しかもとれない。放水が目に入ったカメラマンは1日中のたうちまわっていました」
大学内には野戦病院のような救護所が設けられ、放水を浴びて泣き叫んで苦しむ学生が運び込まれてきた。
宮嶋さんも放水を浴びた際、すぐに服を脱ぎ捨てるように指示され、消防車のホースのようなもので全身を洗われ、治療用の軟こうを塗ってもらった。