とわ子は、母親は自分のせいで不幸だったんじゃないか、自分は生まれてきて良かったんだろうか、という呪いがかかったところからスタートしていると思うんです。でも母には愛し愛された人がちゃんといたんだと知れて、とわ子自身が解放されたところがあったと思います。それと同じように、いろいろな人にかかっている呪いや、社会から規定されてしまう息苦しさから解放された世界を描きたいな、ということですね。例えば、しろくまハウジングには車椅子の人がいたり外国の人がいたりするんですよね。もちろん、その中にもとわ子にすごく嫌な事を言ってくるおじさんもいたりするんですけど、それでもそこに対する立ち回り方としてこうあったらいいなということも描くことで、そうあってほしい世界を作ったつもりです。
──かごめの死が描かれたことにはご自身の身近な方の死のことと、新型コロナウイルスのことが影響しているとのことですが、新型コロナウイルス自体を描くことはしなかったのはなぜですか
会社に企画書を出した時に、当時の部長から「女性で40歳でバツ3ってファンタジーやな」と言われたことがすごく印象に残っているんですが、そうやってファンタジーとして見られることを考えたときに、テレビドラマという現実とは違う世界を描くものの中に、辛い現実が侵食するのは今回のドラマにとって大事なことなのかな、と考えたんですよね。もっと夢のような、本当に楽しいものという完成形を目指したかったんです。現実から少し遠いところでありつつも普遍性がある、という世界観に持っていくのがこのドラマにとって得策でもあると思って、直接コロナを描くことはしないと決めました。コロナ禍の人間模様を描いたドラマにももちろんとても意義はあると思います。
──「今週のとわ子に何が起こったか」という形で、日常で起こる些細な事の積み重ねの中のいろいろな変化を描く作品でしたが、ダイナミックな物語というよりは日常での変化を描くということについてはどのように考えていましたか