■「いろいろな人が呪いから解放された世界」を描いていました
──ロマンチックコメディーとして、典型的な恋人との結婚や好きな人との恋愛だけではなく元夫との関係を描いたり、かごめのような人物が登場したり、最終話ではとわ子の母・つき子とその同性の恋人に関するエピソードが語られたりしました。人々のあり方や、他者との関係性について多様で自由に描いていると言える作品でしたが、大切にしていたのはどのようなことですか
例えばヤングケアラーという言葉が広まることによって世間がそのような存在を知る……という風に、名前が付くことによって社会問題が可視化されるなどの良いこともあると思います。ただ、テレビドラマの作り手としては、人間自体も、人間と人間との関係も奥行きやグラデーションのある複雑なものだとも思うんです。だから人の在り方や、人間の関係性はそう簡単に名前がつけられて規定されるようなものではないんだということを大事にしています。
例えばとわ子はシングルマザーなんですが、今の日本の社会の中で「シングルマザー」という言葉が持っているイメージと、私たちが作ろうとしているとわ子像には何となく乖離(かいり)があったんですよね。「女性社長」という言葉についても同じです。このドラマにおいては、そういった言葉によるラベリングは避けたいと考えて作ってはいました。
──同性の恋人との別れを経て結婚し、その後離婚したつき子、3回離婚したものの楽しく生きているとわ子、自分を対等に扱ってくれない彼氏との別れを選んだ唄、と母娘三代の女性の生き方が変化していました。女性の生き方を描く上でどのような意識があったのでしょうか
難しいですね。根底にあるところで言うと、簡単に語れるものじゃないっていう思いはあります。このドラマにおけるメッセージって、言葉にするとすごく陳腐かもしれないけど、あえて簡単に言うと「自分の幸せは自分で決める」ということなんですよ。選択的夫婦別姓の問題もまた先送りにされてしまったように、女性が一人の個人として生きていきやすい社会になっていかないことで苦しい思いをしている人がたくさんいますよね。だから少しでもいろいろな人生や選択を肯定できるようなドラマになるといいな、と思っていました。