「今は割り切るしかありません。少なくともオリンピックが終わるまでは、昼のみにしようと思っています。時間があるので、今まではできなかった家族とのふれあいを大事にしています。14時に閉店して保育園に子どものお迎えに行って、一緒に遊ぶ毎日です。いずれはまた夜営業を復活しようと思っていますが、今しかできないことをやっています」(湯田さん)
売り上げが厳しいときに支えになるのは家族の存在だ。コロナ禍を乗り切って、再び浅草橋の夜に活気が戻ることを祈っている。そんな湯田さんの愛する一杯は、埼玉の戸田で食べられる本格派の和歌山ラーメンだ。和歌山出身の店主が本物にこだわって作った一杯だ。
■「自分には引き出しがあまりに少ない」 知識と体制を整えて挑んだ和歌山ラーメン
JR埼京線の戸田公園駅から徒歩5分。ラーメンのイメージがない戸田の街に、「麺屋あがら」はある。和歌山出身の店主・阪上晴郎さんが、本格的な和歌山ラーメンを提供している。関東には和歌山ラーメンの専門店は少なく貴重な存在で、連日多くのファンが集まる。
阪上さんは高校卒業まで、日本屈指のラーメン処ともいわれる和歌山で過ごした。家の近くに屋台の「夜鳴きラーメン」が来たときには、その音が怖くてよく泣いていたという。
「近所にもラーメン屋がたくさんあって、毎週日曜日には祖父とラーメンを食べていました。同じ豚骨ラーメンでも、店によって味が違うのが楽しかった」(阪上さん)
その後、大学の進学とともに千葉の勝浦に移り住む。漁師が営む民宿で板長の助手のアルバイトも始め、余った魚のアラを使ってラーメンを作っては、まかないとしてよく食べた。阪上さんのラーメン作りの原体験はここにある。
卒業後は知人のつてで飲食のチェーン店を展開する会社に入り、ラーメン部門に配属。埼玉の店で働くようになる。
5年間働きラーメン作りや店作りに慣れてきた頃、勢いで独立することを決意する。会社を退職し、2軒のラーメン店でのアルバイトを始めることに。ラーメン作りに磨きをかけつつ、独立に向けて準備をした。
こうして13年、「麺屋あがら」はオープンした。31歳の頃だった。
場所は埼玉の戸田。妻の実家が近いこともあり、このエリアで物件を探していたという。「あがら」とは和歌山弁で「私たち」「我々」という意味だ。店のお客さんと「あがら」になれることを目指して名付けた。
看板メニューは、野菜を長時間煮込んで作る「ベジポタつけ麺」。チェーン店時代に出していたメニューをブラッシュアップして作ったつけ麺だった。ファミリー向けにあっさりとした優しいテイストに仕上げていて、オープン時はよく売れたが、リピートにつながらず、売り上げは停滞した。このままでは厳しいと、濃厚つけ麺もメニュー化して巻き返しを図ったが、売り上げの厳しい時期は1年半続いた。