今の時代は、出版社がいくら刷っても、取次会社がとってくれなければ、本は書店に並ばない。だから、早川書房のような中堅出版社は、初版部数を大きくしたければ、実際の書店の注文を集めるしかない。物語に感動した書店員たちは、わが子のようにして続々と注文をいれてきた。
10月半ばに行われた最終の部数会議では、3万部の初版が決定された。過去10年の大賞作品の初版部数は4000部台であったにもかかわらず、である。
社長も、編集と営業が一丸になって推すこの本の初版部数は、承認するしかなかった。
担当の編集者を誰にするかが問題だった。
そのころ、ちょうど日本の作家を担当してきた編集者たちが手一杯だったこともあって、2019年4月に入社したばかりの茅野(ちの)ららに白羽の矢がたっていた。
茅野が担当してきたのは、外国文学で、これまで重版した本はひとつもなかった。初版部数も3000部から4000部。
編集作業は、選考会のあった8月から始まっていた。
ポイントは本の装幀に使う装画だった。冒険小説風の、荒々しい絵を使っては、読者を狭めてしまう。かと言ってアニメ風のものでは駄目だ。
茅野が選んだのは、25歳の雪下まゆだった。まだ活動を初めて3年目の新人だが、少女を描かせたらこの人しかいない、と茅野は考えた。
しかし、装画を描いてもらうための資料の収集には苦労した。そもそもソ連の女性狙撃兵の写真がない。それでも必死に探して、装画の元となる写真を探し出した。
茅野は、決定された初版部数を聞いた時に、恐怖に近い感情を持った。
3万部? 私がつくってきた本の10倍の部数だ。
執行役員の山口晶は、最初に早川淳に意見を聞かれたときに、「直木賞受賞作品よりもずっと面白い」と答えている。山口は、編集一筋でブックフェアにも毎回顔を出し、本の買いつけをしている。ノンフィクションもフィクションもできる読み手だ。