ノンフィクション作家・下山進さんの「週刊朝日」の連載「2050年のメディア」。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた下山さんが、メディアをめぐる状況を多角的な視点から語ります。第2回は、前回に続き『同志少女よ、敵を撃て』について。
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書店には、宣伝材料として、各出版社から、仮綴本であるプルーフ本やゲラが送られてくる。書店員の給料は安い。契約社員も多い。しかも、勤務時間中に、このプルーフ本やゲラを読めるわけではない。勤務時間外を使って読むのである。
だから、私は出版社に勤めていた時代、書店にゲラを送るのは迷惑だと思っていた。
早川書房営業部の中野志織も、アガサ・クリスティー賞大賞をとったとはいえ、そもそも読んでくれないのではないか、しかも感想なんて送ってきてくれないのではないか、注文などぜんぜんこないのではないかと不安だった。
が、9月下旬に送られた『同志少女よ、敵を撃て』のゲラに対して続々とファックスの注文書が入ってきた。しかも、女性の書店員からの熱い感想が書かれたものが多かった。
<「狙撃兵は自分の物語を持つ、誰もが、そして相手の物語を理解したものが勝つ」という文章がとても印象に残りました。本来なら理解は人を殺めるためのものではないはずなのに。狙撃兵同士でしか見えない景色があり、平和な時代だったらば違う形で出会えたかもしれない、と思うと、いろんな可能性を吹き飛ばしてしまう戦争って本当にむなしいと思いました。(中略)
遠いロシア、しかも70年前の時代が自分からかけ離れたものとは思えなくなる魅力があると思います>
この書店員は、アガサ・クリスティー賞の選考会でも議論になったケーニヒスベルクの戦いの意味をしっかりうけとめていた。ドイツの狙撃兵イェーガーは、相手の物語を読んだと思ったことを逆に読まれ、主人公の女性狙撃兵セラフィマに撃たれていた。書店員たちは、選考委員と同じレベルでこの物語を読み解いている。彼女たちをひきつける何かが、この原稿にはある。