手術で何とか一命をとりとめたものの、右腕が再びからだにつながることはなかった。残った右足も、骨が粉砕した開放骨折で、動かすことすらできない。事故から約4カ月、寝たきりの生活が続いた。
よしえさんには、一つの思いがあった。失った右腕はあきらめざるをえない。しかし、右足は残したかった。自力で歩けるようになりたかったからだ。もし、右手と右足の両方を失えば、一人で日常生活を送ることは難しい。それは、娘に介護の負担を負わせることを意味する。医師からは「右足を切断した方が早く社会復帰できる」と薦められたが、なかなか決心はつかなかった。そんな状況で、よしえさんはリハビリにも取り組めない状態が続いていた。
ところが、ある日、医師と話し合いをしている最中に右足の切断について娘がこんなことを言った。
「切っちゃいなよ」
あまりにもあっさりとした言い方に、医師もよしえさんも驚いた。
「足がなくなったら、あなたが私の介助をしないといけなくなるのよ」
よしえさんは聞き返した。それに中学2年生の娘は毅然と答えた。
「そんなのわかってるよ。それでも早く社会復帰できた方がいいでしょ」
この言葉を聞いた時、よしえさんは「なんて強い子なんだろうと思った」と話す。結局は、娘の一言がよしえさんの背中を押した。2016年2月、手術で右足を切断することになった。もちろん、娘も複雑な思いだったはずだ。手術室に入る直前まで泣いていたが、最後は「頑張ってね!」と言って、送り出してくれた。
ただ、本当の試練はこの後だった。手術は無事に終わったものの、麻酔が切れはじめた頃から右足が熱くなってきた。
「吐き気もあって、だんだん痛みが出てきたんです。それで先生に『大きな声を出していいですか?』と聞いたら『いいですよ』と。それで、『痛ーい!』と叫びました。その後は点滴を打たれて意識がなくなりました」
リハビリも始まったが、事故前は簡単にできたことがうまくできない。自力で起き上がれるまでに3カ月。少しずつ動けるようになったのに、傷口が感染症を起こしてリハビリが中断。別の病院へ3カ月の転院を余儀なくされ、また一からやり直しになった。それでも、よしえさんは泣かなかった。ケガを負った自分を支えてくれる娘がいるのだから、自分が泣いてはいけないと決心していたからだ。