右手と右足を失った。そして私は踊り始めた──。5年半前、交通事故で瀕死の重傷を負った松田よしえ(53、芸名=キャロットよしえ)さんは、義手と義足を付けた生活を余儀なくされた。事故後はPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされ、壮絶なリハビリに何度もくじけそうになった。それを乗り越えて社会復帰した現在は、ダンサーとして活動している。今は「みんなに私を見てほしい」と話すよしえさんに、これまでの道のりを語ってもらった。
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2015年10月13日早朝、よしえさんの運命は変わった。仕事でトラックを運転していた時、対向車のトラックがセンターラインを飛び越え、正面衝突した。双方のトラックは大破、早朝にもかかわらず、衝突時の轟音を聞いた近隣の住民が飛び出してきた。
何とか意識が残っていたよしえさんが最初に思ったのは「車が燃えると危ないから、エンジンを止めなくちゃ」。だが、右腕は動かない。そこで、動かすことのできた左手で、衝撃を受けた体の右側を触ろうとした。この時、右腕がないことに初めて気づいた。不思議なことに、痛みはほとんどなかった。
救急車に乗り、時間が経つにつれて事の重大さに気づいたよしえさんは、別のことが心配になった。自宅で留守番をしていた中学2年生の娘だ。前夫と離婚後、よしえさんは一人娘を女手一つで育てていた。
シングルマザーの子育ては過酷だ。日本の母子家庭の貧困率は51.4%(労働政策研究・研修機構「第5回(2018)子育て世帯全国調査」)という状況で、よしえさんは昼間は美容師、夜は運送業というダブルワークをこなすことで生活を維持してきた。何事もしっかりとやり遂げるタイプで次々と仕事を任され、当時持っていた携帯電話は4台。それも朝から晩まで鳴りっぱなしだったという。事故にあったのが早朝だったのも、トラックで荷物を運んでいたからだ。
「病院に着いた時は、とにかく娘のことが心配で。それで医師の先生に『私、シングルマザーなんです! どうか命だけは助けて下さい!』ってずっと叫んでました。あまりにもうるさかったんでしょうね。先生も最後には『わかったから!』と強い口調で言われたのを覚えてます」