
太古に描かれた壁画を4×5の大型カメラで撮影
写真展の後半、数々の壁画を写した作品も興味をそそる。撮影地はサハラ砂漠の中央にある台地、タッシリ・ナジェール。塔のような岩が複雑に入り組んだ地形が広がり、岩壁には約8000年にわたって描かれたおびただしい数の絵が残されている。
「その描画力がすごいんですよ」。デフォルメされたフォルム、優雅で力強い曲線に心引かれる。
「全部、4×5の大型カメラで撮影しています。フィルムを交換するのに必要なダークバッグも持って。たいへんな労力でしたね」。その甲斐あって、いまも私たちは緻密に描写された太古の美を目にできる。
ちなみに、タッシリ・ナジェールとはトゥアレグ族の言葉で「川のある大地」を意味し、そこはかつて、緑に覆われていた時代があった。
「現在のケニアのサバンナくらいの気候ですね。これだけゾウやジラーフ(キリン)がいるわけだから」と、野生動物が描かれた壁画の写真を見ながら野町さんは言う。
生活の糧であった牛も数多く描かれているほか、彩紋を体に描いた人々、弓を手に躍動する男、日々のテントでの暮らし、黄泉の国への旅立ちと、モチーフは実に豊富だ。
人々の姿も黒人系、地中海人種と、さまざま。「何千年もの間、環境の変化によって、いろいろな人種が交差していたんです」。
二頭立ての馬が引く戦車の絵はローマ時代、最先端の技術がこの地にも及んでいたことを証明している。
「縦軸も横軸も面白いところなんですよ。どちらも深いし」
この言葉を聞いたとき、私はほくそ笑んだ。歴史と地域性、この二つを軸にテーマを掘り下げていくのが野町さんの作品の真骨頂であり、その原点がサハラであることを知ることができたと思ったのだ。

「いまはもう最悪でしょう」。武装勢力が跋扈する思い出の地
しかし最近は、モロッコを除き、北アフリカには10年以上、足を踏み入れていないという。
「いまはもう最悪でしょう。ニジェール、アルジェリアの南半分は入れない。リビアはもちろんダメだし。マリはもっとひどいんじゃないですか。どこも武装勢力の温床ですから。サハラはもうモロッコに観光に行くくらい」と、悲観ムードで話す。
「仮に撮りに行ったとしても、人々との交流はないだろうしね」
2009年、リビアを訪れると、「人にはレンズを向けないように」と、ガイドから釘を刺された。これでは「サハラ」のような作品を撮るのは難しい。政情が揺らぐと、人々は写真を撮られることをひどく嫌うようになった。密かに行われる監視。人間不信。写しとられることによって何か災いが降りかかることを恐れるようになった。
さらに、人々の暮らしも大きく変わったという。
「生活形態は激変しましたよ。車は普及しているし、家もどんどん建っている。だから、こういう遊牧民、キャラバンなんて、ほとんどいない。着ているものもほかの世界と変わらないし、みんなスマホを持っている。手にする情報量も昔とはまったく違う。ぼくが取材したころはまだ古い文化が残っていたけれど、いまはもう、ほぼないですから」

写真もワールドワイドに売れた。「いい時代だったんですよ」
振り返ってみれば、取材のタイミングとしては最初で最後の機会だった。それ以前は、外貨の持ち出しが厳しく制限され、個人の立場で海外取材に行くことなど夢だった(特にアフリカはそうだったろう)。70年代は北アフリカ諸国の政情や治安は比較的安定しており、あまり不安を感じることなく移動や宿泊ができた。
さらに「当時はまだグラフメディアがあって、読者も外の世界に対する好奇心があった。写真もワールドワイドに売れるものは売れた。だからこそ、こういう取材ができた。いい時代だったんですよ」。
野町さんがのめり込むように撮影したサハラの遊牧民の世界は失われてしまった。でも、こうして作品として記録に残っただけでも、よかったと思う。独裁政権が次々と倒れた「アラブの春」以降、混迷する北アフリカ諸国を意識すると、その思いが強くなる。
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
【MEMO】野町和嘉写真展「サハラ」
JCIIフォトサロンで1月5日~1月31日開催

