1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は「平家物語/忠度の都落ち」ならぬ、東京を去って地方に移籍した「都電の都落ち」のエピソードを紹介しよう。
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「都落ち」と聞くと、「落ち」という言葉から、ややネガティブなイメージを思い浮かぶ人も多いかもしれない。この「都落ち」は鉄道ファンのなかでも使われる言葉で、それまで東京を疾走していた車両が、東京以外の地方などで「第2の人生」を歩むことでも使われる。決してネガティブではなく、全国各地を走る姿に感動すら覚える。
ただ、路面電車に関していえば、1970年代「都電全廃」の影響が大きい。
冒頭の写真は、長崎市内浦上川の専用橋を走る3系統赤迫行きに充当された旧都電2000型の700型。1955年に新造された2018~2022・2024の6両が1969年に長崎電気軌道(以下長崎電軌)に譲渡されている。
長崎電軌は日本最西端の路面電車。電車線電圧600V、軌間は1435mmで、長崎市内に5線区11500mの路線網を持つ。移籍した700型は登場時の1067mmから1372mmへ、そして1435mmへと、二度の改軌を体験した珍しい路面電車だ。この6両は改軌工事の他にワンマン仕様改造を受け、長崎電軌ワンマン運転の先駆けとなった。
■余剰車両「譲渡」の歴史
東京市電から地方都市へ路面電車が移籍した歴史を紐解くと、本連載で既報の「1934年函館大火」による函館市電への緊急援助用に、45両の中古市電が譲渡された事例が著名だ。それ以前の大正期にも、横浜市、能勢電軌、王子電軌、城東電軌、京王電軌(現京王電鉄)、成田電気鉄道などに中古車を売却している。戦後の復興期には、鹿児島市電、川崎市電、仙台市電、箱根登山鉄道(小田原市内線)に余剰車両が譲渡された。いっぽう、都電の鋼体化などで生じた不要車体を流用した再生車が、秋田市電や江ノ島鎌倉観光(現江ノ島電鉄)などに登場している。
都電の全廃が実施された1970年代に入ると、旧杉並線用に新造され車齢が若かった2000型6両が長崎電軌に譲渡された。いっぽう、地勢的には長崎の対極に位置する函館市電にも7000型10両が譲渡されている。こちらは軌間が東京と同じ1372mmの利点を生かし、ワンマン化改造までは、ほぼ原形のまま使用されている。
次のカットが函館市電(現函館市企業局交通部)宝来・谷地頭線の終点谷地頭停留所を後にする2系統湯の川行き旧都電7000型の1000型。写真の1007は筆者が撮影した1993年から都電色のキャピタルクリームとエンジの帯に塗り替えられ、2007年まで稼働した。
前述の2000型と同時期の1955年に新造された7032~7034・7036~7042の10両が1970年に函館市電に譲渡された。入線の翌年、1971年からワンマン化改造が実施され、写真のような非対称型の正面に改造された。