都電時代と変わらぬ風貌で活躍する長崎電軌700型。写真の706は旧2024で、筆者が杉並線時代から被写体にしていたお馴染みの都電。大橋~浦上車庫前(撮影/諸河久:1981年8月2日)
坂のある港町を走る函館市電1000型は、北国で再起した旧都電の7000型。写真の1007(旧都電7039)の退役後、続いて都電色になった1006(旧都電7038)が 2010年まで在籍した。谷地頭~青柳町(撮影/諸河久:1993年7月12日)
江の島を遠望して鎌倉に向かう江ノ電202+201の連結車。先頭の202は旧都電170型の車体再生車だった。この編成は後年300型連接車に改造され、1991年まで稼働していた。七里ヶ浜~稲村ケ崎(撮影/諸河久:1964年1月26日)
1965年7月に廃車された1032は羽後交通に売却され、客車に改造のため西武鉄道所沢工場に入場した。前灯を撤去して、台枠補強工程に入った作業棟の一コマ。(撮影/諸河久:1965年8月16日)
羽後交通横荘線で客車に変身した旧都電1032。訪問時の終着駅である館合構内に休むホハフ6。塗色は羽後交通色になっていたが、昔ながらのツートンカラーがよく似合った。(撮影/諸河久:1966年3月6日)
夜来の雪が吹き込んで、座席や床に積雪したホハフ6の車内。主要機器を撤去した運転台は、左端の手用ブレーキスペースを除いて立席に転用されていた。館合駅(撮影/諸河久:1966年3月6日)