しかし、僕は1980年にグラフィックデザイナー、イラストレーターという二刀流から、画家という一本刀に転向しました。何の予想も想像も計画性もなく突然、僕の内部に起こった理不尽な衝動によって運命転換が図られたとしかいいようのない出来事でした。このことはまたいつか書くとして、とりあえず、画家に鞍替えしてしまったのです。デザイナー、イラストレーター時代とは生活も環境も人間関係も、経済も思想も作品も何もかもが、大逆転してしまったのです。

 それをどう説明していいのかわかりません。冒頭に説明は簡単だ、と書きましたが、画家とは何者か、というところから掘り起こす必要があるので、誰かの書いた画家論か芸術論を読んでいただくとして、ここでは思いつくことをひとつ、ふたつ記すことにします。デザイナー、イラストレーター時代はいつも仲間との交流がありましたが、画家になってからは同業者との交流は全くありません。画廊や美術館の学芸員に会う程度で、人に会う機会がうんと減って、終日、アトリエで大きいキャンバスに向って、自問自答の連続です。そして何を描くべきか、いや、そうではなく、如何に描くべきか、それも違う、如何に生きるべきか、生とは、死とは、過去、現在、未来、存在と時間、その反復の意味は、いや意味など不必要だ、意味も目的も、結果も、大義名分も、必要ない、必要なのはたった今、Be here now、この瞬間を遊びに変える。そう、遊ぶために生まれて来たのです。

 自分を徹底的に、どこかに追い込んで、もうわからん、もうあかんわ、シャーナイ、やめとき、ほっとき、こんな雑念が去来して、気がついたら頭の中からは言葉も観念も追放された。空っぽや。無や、空や。空っぽの頭から切り離した肉体とアストラル体とエーテル体だけが、フワフワ大気圏外を浮遊している。そして死から生を覗く。実相から見るこの現世の虚構のデタラメ、フィクション、いい加減さ、何が芸術や、アホラシ! これが画家です。

 ハッと気がつくと、絵が完成している! 未完のまま完成している。そして「こんなもんが出来ましたんやけど」というのが画家の作品です。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年7月15日号

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