オレンジ色の光に浮かび上がる東京・上野の街。東京大空襲をイメージして被写体の熱を映像化するサーモグラフィーカメラで撮影した(木村さん撮影)
オレンジ色の光に浮かび上がる東京・上野の街。東京大空襲をイメージして被写体の熱を映像化するサーモグラフィーカメラで撮影した(木村さん撮影)

「夜の観察」。東京大空襲の証言を元に作品をつくり上げた木村肇さん

「夜の観察」とは、不思議なタイトルだ。

 メインの作品は写真ではなく、2種類のビデオ映像を使ったインスタレーション(展示空間を含めて作品化したもの)。同じ場所、同じ時刻を異なるビデオカメラで撮影した映像が映し出される。そのひとつは被写体の熱を映像化するサーモグラフィーカメラによるもの。深夜の東京の街がオレンジ色に浮かび上がる。イメージしたのは第二次世界大戦末期の東京大空襲。

 1945年3月10日午前0時過ぎ、マリアナ基地から飛来したB29、約300機が東京の下町に侵入。約3時間にわたり焼夷弾1665トンを投下した。現在の台東、墨田、江東区を中心に約100万人が家を失った。死者は10万人以上とされる。

 作品にはモデルとなった人がいる。墨田区・飛木稲荷神社の近くに住んでいた田中稔さん(取材当時88歳)だ。

 このプロジェクトを開始したのは昨年8月。飛木稲荷神社の「戦災樹木」を取材した際、宮司に田中さんを紹介され、空襲の体験を聞いた。

空襲の記憶を追体験するようにカメラを手に歩いた

 あの日、田中さんは神社のご神木のイチョウが炎に包まれる様子を目撃した。

 北西からの強風にあおられた火災は南側に広がり、特に江東区全域は火の海となった。それを避けるように田中さんは西の方角を目指した。上野駅に着くと、中央通り沿いを秋葉原に向かって避難した。

「ひとりで歩いて逃げたそうです。避難路には火の手が上がった。その記憶を追体験するように、ぼくは深夜、カメラを手に歩き、観察しました」(木村さん、以下同)

 この「ぼく」は、木村さんの視点だけを意味しない。「ほかの誰や戦災樹木とか、戦後からいままで生き残った何かですね」。作品にはそんなメタファーが込められる。

 撮影したサーモグラフィーカメラの映像は、田中さんが証言した当時のビジュアル的な状況と重なった。

「あくまでも結果論ですが、それも今回、こういうインスタレーションをやろうと思った理由です」

 例えば、「ビル群や人が歩いている部分がすごく明るいオレンジ色に光っていて、空襲の証言にあった色とよく似ていたんです」。

 そのふちは青く染まっている。それも「B29がすごく低空を飛んでいたときに、青い光を放っていたという証言」と重なった(上空を照らすサーチライトによるもの)。

 東京大空襲の証言を元につくり上げた「半分ノンフィクションで、半分フィクションのような作品です」。

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