引き上げ後、新たな養父から虐待を受けた子どもたちも多いという。
「日本軍から痛めつけられた俘虜体験のトラウマを持つお父さんが多いんです。もう8割くらい。みなさん、『戦場のメリークリスマス』(※1)みたいな体験をしてきた。だから妻の連れ子の顔が日本人っぽかったりすると、虐待に走っちゃう。殴る蹴る、性的虐待。ものすごく家の居心地が悪くて15歳で家を出た人もいます。ほんとうに悲しい話しかない」
撮影を拒否されませんでしたか?
「嫌だ、という人もいらっしゃいました。自分の出自を秘密にしてきたから顔は出したくない、と。でも、ほとんどの人は丁寧に自分の意図を説明すると、『じゃあ、うちに来て撮影していいよ』と言ってくれて。インタビューと撮影が終わると、『ごはんも食べていきな』と。すごくあたたかく受け入れていただきました」
奥山さんは彼らの父親、祖父を探す活動にも参加している。
「Silent Histories」。元捕虜の憎しみと悲しみを写す小原一真さん
第2次世界大戦中、旧日本軍の犠牲になった人々がどのような戦後を送ってきたのかを追った作品。
なかでも印象に残ったのはインドネシア戦線で旧日本軍の捕虜となり、虐待を受けた元オランダ軍の兵士へのアプローチだ。
小原さんは昨年、オランダ・ハールレムにある退役軍人のために建てられた終の棲家を訪れた。木立に囲まれた池のある美しい前庭。薄茶色の壁とアーチ型の窓。居心地のよさそうな調度品に囲まれた木製の椅子。
しかし、そこには本人の姿はどこにも写っていない。
「結局、会ってもらえなかったんです」(小原さん、以下同)
その言葉に「やはり」、という思いが胸をよぎった。
「会うことはできないけれど、部屋の中だけは撮影してもいいよ、と。その間、おじいさんはどこか別な場所に出払っていました」
彼らの支援団体から撮影を断られたこともあった。若い日本人男性に会うことによって感情的な問題が起こるかもしれない、というのが理由だ。
主人のいない椅子が戦後70年以上のたったいまも彼らを苦しめ続けるトラウマの大きさを思い起こさせる。
旧宗主国とかつての植民地に旧日本軍の痕跡をたどる旅
開戦当時、日本を囲んでいた、いわゆる「ABCD包囲網」(※2)4カ国のうち、昭和天皇の公式訪問がかなわなかったのが中国、そしてオランダだった。71年に非公式に訪問した際は、「ヒロヒト帰れ」と、レセプション会場をデモ隊が取り囲んだ。元兵士らの激しい反日感情。それをむき出しにした映像がいまも私の目に焼きついている。
小原さんがこのプロジェクトを始めたきっかけの一つが5年ほど前、ロンドンに住んでいたときの体験だった。
「近所で知り合いになった写真家のおじいさんが昔、香港のほうで旧日本軍の捕虜になったと言うんです。その話を聞くまで旧日本軍の捕虜のなかに白人がいたという認識がほとんどなかった」
実を言うと、この話を聞いたとき、軽いショックを受けた。若者世代の戦争の記憶が確実に薄れつつあることを実感した。
だからこそいま、写真で過去と現在とを結びつけて記録する意義があるのだろう。
撮影に訪れた地域はマレーシア、シンガポール、タイ、インドネシア、韓国、オランダ、イギリス、オーストラリア。
「ポートレートとランドスケープの作品を展示するほか、これらの地域ごとにストーリーをまとめた冊子をつくって会場に置き、読んでいただこうと思っています」