「朝鮮に渡った日本人妻 JAPANESE WIVES」。彼女たちの人生を写す林典子さん
在日朝鮮人やその家族らが北朝鮮に渡った「帰国事業」が始まったのは1959年。
84年に最後の帰国船が出るまでに計9万3340人が日本海を渡った。そのうち日本国籍を持つ配偶者や子どもは6679人。これには日本人妻1831人も含まれる。
今回、林さんは井手多喜子さんら4人の日本人妻を現地で写した作品を展示する。
井手さんは撮影の3週間後に亡くなった。89歳だった。
「もう、みなさん相当ご高齢。若い方でも70代後半です。90歳を超える方もいらっしゃいます」(林さん、以下同)
彼女たちは北朝鮮についてのさまざまな報道の陰でひっそりと生きてきた。
「一人ひとりがどんな人柄なのか、どんな人生を歩んできたのかを知りたいと、かなり前から思っていました」
調べてみると、日本人妻への直接取材を積み重ねてまとめたものはほとんどなかった。
「彼女たちに直接会って話を聞くことは相当難しくなってきている。取材するなら、いましかない」
そんな気持ちが林さんの背中を押した。
これまで取材したどんな人よりも最初から距離感が近かった
初めて北朝鮮を訪れたのは2013年。しかし、日本人妻の名前も住所もまったくわからない。頼ったのは林さんの案内人(外国人につく通訳兼ガイド)だった。「日本人妻の方を紹介してほしい」と、お願いした。
しかし、案内人が日本人妻の居場所を知る由もない。関係機関に連絡して調べてもらわなければならない。手間のかかる面倒な作業だ。思うように面会の機会は訪れなかった。
それでも、あきらめることなく北朝鮮への訪問を繰り返し、熱意を伝え続けるうちに次第に案内人の姿勢が変わっていったと言う。
「少しずつ少しずつですが、案内人の方たちの『協力しよう』という気持ちが感じられるようになりました」
これまでに訪朝は12回。
「いまでは、『それは無理です』と言われそうなお願いでも、かなえようとしてくれるようになりました」
面会できた日本人妻は9人。その全員が快く林さんを受け入れてくれた。
「ものすごく喜んでくれて、心から歓迎してくれました。これまで取材してきたどんな人たちよりも最初から距離感が近かった。日本人同士ということもあって、気持ちの結びつきはかなり強かったと思います」
「これからも日本人妻をライフワークとしてずっと撮り続けていこうと思います。彼女たちが生きているかぎり」
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
※1 「戦場のメリークリスマス」(1983年)はインドネシアの旧日本軍捕虜収容所を題材にした映画。監督は大島渚。デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしらの出演で話題に。
※2 ABCD包囲網は第二次世界大戦前、日本に経済制裁を行っていた国を表す。ABCDはアメリカ(America)、イギリス(Britain)、中華民国(China)、オランダ(Dutch)と、各国の頭文字を並べたもの。
【MEMO】
奥山美由紀、小原一真、木村肇、林典子作品展「Reimagining War」
ギャラリーOGU MAG(東京都荒川区東尾久4-24-7、電話03-3893-0868 http://www.ogumag.com) 8月1日~9日開催。