早川書房は1945年8月に創設された同族会社で、淳は3代目にあたる。現在42歳。慶應SFCを出たあと、イギリスで演劇学校に学び早川書房には2006年に入社している。社長を務める父親の浩に反発して家を出て一人暮らしをしたこともある。

 私は、2008年秋のフランクフルトブックフェアで淳に初めて会っているが、このときは入社2年目、まだひらの営業部員だった。素直な人で、書店を一生懸命まわっていたという記憶がある。父親が編集畑だったのに対して、ずっと営業でやってきた。

 淳は、渡された原稿を、家で読み始めたが、興奮して眠れなかった。

 翌日、営業部に席のある淳は、こう営業部内で宣言する。

「この本は、5万部は売るぞ!」

 が早川書房は、いくら副社長の淳が言ったからといって、初版を5万部に設定できるわけではない。刊行の2カ月前にある部数会議のあと、社長の早川浩の厳しい決裁がある。

 この社長決裁の日までに、材料を集めなくてはならない。

 営業部を管掌する淳は、まず書店員にゲラを読んでもらおうと考える。ゲラの表紙に感想を書く欄と注文書をつけて、200部を発送した。

 しかし、忙しい書店員が、分厚く重いゲラをわざわざ読むだろうか?

 以下、次号。

下山 進(しもやま・すすむ)/ ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文藝春秋)など。

週刊朝日  2022年7月15日号

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。標準療法以降のがんの治療法の開発史『がん征服』(新潮社)が発売になった。元上智大新聞学科非常勤講師。

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