丸1カ月「イノサンmusicale」に向けて殺陣と台詞、歌の稽古を行った。「リアルな演技は映像ではOKだけど、舞台では通用しないということも初めて学んだ」。来年2月にはパリ公演も予定されている(撮影/岡田晃奈)

■鮮やかで衝撃的なデビュー、そろそろバイト探さなきゃ

 中島は、こう言う。

「マリーは、『女は死刑台にあがっちゃいけない』と言われても、そこをぶっ壊して生きてきたわけです。私も、小さい頃から、洋服や制服、メイクといったものを全部ぶち壊してきたんです。流行(はや)りにも疎かったので、すべて自分が好きか嫌いかだけで決めていた。貧乏だったから、スカートは自分でつくって、それに下駄(げた)をはいたりして。私はそれが自分なりのファッションだと思っていた。みんなにはすごい笑われたりしたけど、そういうことはへっちゃらだったんですね」

 へつらうことなく自身の筋を通し、結果、摩擦を起こすという点でもマリーと重なるところが多かったのだ。

 中島のデビューは鮮やかで衝撃的だった。

 九州から出てきたばかりの18歳の少女がいきなり連続ドラマ「傷だらけのラブソング」(01年、フジテレビ系)のヒロインに抜擢(ばってき)されたのである。高橋克典演じる元音楽プロデューサーと二人三脚で歌手デビューを果たすという、まさに中島自身を投影した物語だった。初めてとは思えぬ演技力に、視聴者からは「あの子は誰なんだ?」と問い合わせが殺到した。主題歌「STARS」も見事にはまった。回を追うごとに中島の出番は増えていった。これ以上はないというぐらいの完璧なデビューだったのだ。

 もっとも、中島自身に気負いはまったくなかった。福岡からやってきた中島の持ち物が着替えを入れた紙袋一つだったことに周囲が驚いたほどだ。

「上京して、そんなたいそうなことが起きるとはまったく考えてなかったんです。『東京に行ってもマックだったら働けるな』って思っていたぐらいで。鹿児島でもずっとマックでバイトしていて一通りできましたから」

 デビュー以来、音楽ディレクターとして中島と伴走してきた後等求(ごとう・もとむ)(51)は、初めて会ったとき、絶対に売れるという確信を持てなかった。服装のセンスがよくて可愛らしくはあったものの、普通の少女にしか見えなかったのだ。が、後等はほどなく、中島のポテンシャルを知ることになる。

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