■入院先で出会った少年との約束
町田市にある人気店「超純水採麺 天国屋(ちょうじゅんすいさいめん てんごくや)」。どの駅からも距離があり、場所はパチンコ店の敷地内という珍しい店ながら、バスや車でわざわざ訪れるお客さんも数多い。浄水器で不純物を取り除いた水や、阿波尾鶏のガラ・丸鶏、比内地鶏の鶏油など、こだわりの素材を使ったスープを化学調味料不使用で仕上げた淡麗系のラーメンが人気のお店だ。
店主の佐々木昭一さん(46)は神奈川県綾瀬市に生まれ、愛甲郡(あいこうぐん)で育った。11歳の頃、両親の故郷である秋田に帰省した時、従兄弟に誘われて行った喫茶店で食べたラーメンに衝撃を受けた。
「従兄弟は旭川出身で、ここのラーメンが旭川ラーメンに似ていると言って、連れていってくれましたそれまで町中華や出前でしかラーメンを食べたことがなかったので、あまりの美味しさにびっくりしました」(佐々木さん)
学生時代は野球に精を出し、18歳のときに野球推薦で一般企業に入社。だが、無理がたたってヘルニアになってしまう。20歳までに3度の手術を繰り返し、これ以上野球を続けてはいけないと挫折。そのまま退社することになる。22歳までは入退院を繰り返す日々だった。
その頃、書店で何気なく買ったラーメン本に載っていた町田の「雷文(らいもん)」のレシピを見て、自宅でラーメンを作ってみることにした。凝り性な佐々木さんは自宅のガス代が大変なことになるほど作り続け、母親に激怒される。これが佐々木さんのラーメン作りのきっかけとなる。
その後、知人の会社に就職。営業車で各地を回る中、またヘルニアが再発してしまう。24歳のとき、10時間にも及ぶ4度目の手術を受けた。
そのとき、入院先の病院で、心房中隔欠損症(ASD)にかかった5歳の少年に出会った。そこで不思議な体験をする。
「ラーメンを作ったことがあるなんて言っていないのに、『ラーメン好きなんだよね。お兄ちゃんの作ったラーメン食べてみたいなぁ』と言うんです」(佐々木さん)
佐々木さんは、互いに元気になったらラーメンをふるまうと少年と約束を交わす。だがその3カ月後、少年は亡くなってしまう。自分よりもはるかに幼い子どもの死を目の当たりにした佐々木さんは、誰かのためになることをしようと決意する。
求人広告を見ていたら、病院の近くのラーメン店がオープニングスタッフを募集していた。リハビリに通いながらラーメン作りを学ぼうと思い立ち、01年9月、27歳でラーメンの世界に飛び込んだ。
「子どものためのラーメンを作る」。少年との約束を胸に、佐々木さんのラーメン人生がスタートした。